ハワード・ヒューズの隔離の病

京都の新京極にオープンした“MOVIX京都”で『アビエータ』を観ました。ハワード・ヒューズの伝記は○十年前早川書房から出版されたのを読んだ記憶があります。その本が文庫になったジョン・キーツ『ハワード・ヒューズ』だったのか、本が手元にないので確認出来ませんが、華麗なる飛行機野郎の生き方に文字どうり眩暈しました。でも、『市民ケーン』、『華麗なるギャツビー』のように、やるせなさ、悲劇の匂いがまとわりつく。冒頭、中盤、終わりと、幕間にハワード・ヒューズが呻く、呟く「Q、U、A、R、A、N、T、I、N、E」(隔離)はこの映画の中でどのように位置づけ解釈するのだろうかと、気になりました。早川書房の本で、大昔ですが、このquarantineのセリフが、文中の記述でも全く記憶にないのです。しかし、この映画ではハワード・ヒューズの秘密は“quarantine”なんだと、何度も言っている。でも、実際の映画とquarantine(隔離)がすっきりと結びつかないのです。武田徹が『「隔離」という病い』(中公文庫)で言っている「隔離」と同じような意味のquarantineなんだろうなと思いますが、ハワード・ヒューズの伝記を再読してみます。
吟遊旅人のぴぴさんがレビューをアップしています。そちらで内容の詳細をご覧下さい。でも、レビューでこの“quarantine”に触れていないですね、どうも、「ハワード・ヒューズの隔離の病」について、考えてみたいのですが、単なる病歴として見るべきでそこに隠喩を見るべきでないのでしょうか?それとも、積極的に隠喩として監督が語ったことをキャッチすべきなのでしょうか?そこが明晰でない。何か見終わって、取りとめのなさを感じたのです。散漫な印象があったのです。それを強固に結びつけるものが、quarantineだと思うのですが、霧の中なのです。