ゆっくり遊んでおいで

コミさんほのぼの路線バスの旅 単行本倉敷・広島・西瀬戸内海―気ままに電車とバスの旅 (ブルーガイド―てくてく歩き)音故知新 あの1曲からはじまった/結婚しようよ〜「いちご白書」をもう一度時代はブログる!
今日、叔父の法事で倉敷まで行きました。昨年の4/24に旧ブログで叔父の法事の模様を書いていましたが、八重桜の大木は去年の再現かのように花傘となって咲き誇っていました。同じ風景、同じお坊さんの読経です。若い住職で先代住職の介護の日々だと言う。
最近、よく子供の頃が想い出され、今、目の前に横たわって寝たきりになっている先代の元気な頃の姿がダブり、寺のすべてを任された日々のお勤めで、僕自身、精神的にきつい状況にあって、神経的に病んでしまったと説教がはじまりました。
読経も身体を騙し騙しお勤めしていたのですが、そんなある日、先代の「ゆっくり遊んでおいで」という言葉を日記で発見したというのです。小学校の頃、何年も日記を書き続け、先代は息子の書いた日記に必ず、コメントをしてくれたということです。去年、彼自身もストレスを抱えてか、思うに任せない身体の震えを誤魔化しつつお勤めに目一杯、励んでいたのですが、ある日、その懐かしい日記のコメント欄に、先代住職の「ゆっくり遊んでおいで」っていう情けがあったのです。「僕はその一言に救われる想いでした。」と彼の説教は切々として語る。
語りも敵わぬ住職が日記を通して、悩む息子に情けをかける。その日記の双方性、データ保存、それが、今この時点で語る。情けを受容する。これは見事なブログ論ではないかと、思いました。色々と考えさせる説教でした。
法事を終えて、瀬戸内の海岸沿いを車で岬めぐりをしてオヤジとお袋の故郷に寄って見ました。一年くらいこの村の小学校に転校したのことがあるのです。山が迫り、遠浅の砂浜は素晴しいものでした。今は堤防が築かれていますが、帰りはバスで岬めぐりをするつもりだったので、一時間に一本のバスを待つ間、堤防に立って海を眺めやると、静かで、喪服の正装が浜辺に一人立つ構図が俯瞰されて僕の鳥の眼が喜びで囀る気分でした。東と西の岬を視界に捉え扇状の要に僕が位置している。目の前に春の海が拡がる。オヤジの生家は去年の台風で浸水して、誰も住んでいないので、今にも崩れ落ちそうで無惨さです。
バス道路に面していますが、海まで50メートル足らず。子供の頃、夏休みになると、この浦に汽車を乗り継ぎ、車に弱いので、酔って真っ青になりながら、バスに乗り、山を越えてこの村にやってきたのです。夏休みの間、この浜で過ごしたのです。そんな想いにも包まれて贅沢な昼下がりの一刻を、病で養生しているもう一人の叔父を見舞って、バスを待ちました。先日テレビで山本コータローが出演して白髪頭で『岬めぐり』を歌っていましたが、音痴のぼくがちょいと、口ずさみました。バスがやってきました。乗客は僕一人。新倉敷まで30分のバスの旅でした。新幹線の車中でブックオフ(百円)で見つけた『時代はブログる!』(須田伸著)を読みました。

 [……]
岬めぐりの バスは走る
  窓に広がる 青い海よ
  悲しみ深く 胸に沈めたら
  この旅終えて 街に帰ろう

そのまんまの風景でした。
去年の今日はこんなことを旧ブログに書いていたのです。

 「願はくは花の下に春死なむそのきさらぎの望月のころ」ー西行
 春になると、西行忌が行われるが、昨日、叔父の一周忌で倉敷まで行って来ました。天台宗のお坊さんのお経を拝聴しましたが、何故かイギリス人の老夫婦が神妙に座っていた。亡き叔父の孫がイギリスに短期留学したおり、ホームスティで世話になった夫婦で、お勤めを終えて夫婦仲良く三ケ月計画で日本旅行に励んでいるのです。
お墓に参ると、見事な八重桜の大木が一本、墓のそばのなだらかな斜面に地中深く根を下ろし、花の天蓋、[野点の朱色の天傘]となって、折からの風に花びらがちらちらと舞い降りていました。でも、八重は重苦しく、牡丹の生命力を思い出し、やはり西行の花は染井吉野でないと、この歌の良さは伝わらないと思う。染井吉野西行の時代にはあったのであろうか?名前の発祥は巣鴨の染井村と聞く。どんな花に歌人は埋もれたいと恋、願ったのか、
 忌は終わり、宴が始まった。老イギリス人がアコーデオンを弾き、キルトスカートで踊りの披露に及びました。…

西行花伝』の辻邦夫のノリだったのですが、今年は喪服を着た田中コミマサか、コータローでした。