一万歩の日常

三日目に入った一万歩のウォーキングですが、昨日は梅田にも出て結局、合計二万歩は歩いている。今朝も公園で二十周、約一万歩歩きました。体脂肪計で計量すると、体年齢が60歳になっていた。一日目が62、二日目が61、今日が60なのです。毎日、一歳づつ若くなっていくのですかね、そんなアホナと笑っちゃいますが、しかし、体年齢が50歳を切れるところまでは今年中にクリアしたいですね。歩くことは脳にもいいみたい。それにとても素敵な女の子が毎朝クラリネットの練習をしている。いい音を出すのですよ。モーツアルトかな、『のだめカンタービレ』ののだめより間違いなく美人です。多分音大生なのでしょう。そんなBGMで歩くのです。

京都に「哲学の道」と呼ばれる川沿いの道がある。[…]/私も何回かこの「哲学の道」を歩いたことがあるが、なぜか何のひらめきもなかった。西田は、きっとこの道で数多くの哲学のインスピレーションを得たのであろう。私が何のひらめきも持てないのはなぜなのだろう、とずっと不思議だった。やはり西田に比べると自分はアタマが悪いのだろうくらいに思っていた。/ある時、ふと気がついた。歩くことと思索は相性がいい。古代ギリシャには、歩きながら哲学の問題を考える「逍遥学派」がいた。私も歩きながら考えるとはずみがつく。しかし、歩きさえすればいいかと言えば、そうではない。どのような道を歩いている時にひらめくことが多いかと言えば、例えば毎日歩く自宅から最寄りの駅までの道のように、慣れ親しんだ、何の変哲もない道だということに気がついた。[…]/西田幾太郎にとって、あの東山を下る道が「哲学の道」だったのは、その景観に哲学を考えさせる特別な性質があったからではない。西田にとって、そこが毎日のように歩いていて見慣れた道であったということが最も重要な要素である。毎日通っていたからこそ、西田にとってはあの道が「哲学の道」だったのである。−茂木健一郎著『脳と創造性』212頁ー

毎日、同じ道を歩き続ける…、これが結構ムツカシイのです。まあ、こんな風に歩行を歩行記としてアップすれば、少しは縛りになりますからね、そんなつもりで、ブログに書いてみました。