空草ドラゴン

 梨木香歩の『からくりからくさ』は前半、中盤、後半と気分にムラが生じました。書き手はどうだったんだろうか、後半にさしかかると俄然気分が高揚して、一気に読みきりました。終わりが先に出来上がって、その核から、前半、後半を編んだ破綻のない構成っていう明晰な物語で。そんな小説は別段嫌いではない、メッセージは直截に伝たわる。とても健康な小説です、やっぱし。
 あの人はあの世に飛び立ちました。享年69歳。倉橋由美子の世界は誰が引き継ぐのでしょうか、松岡正剛「千夜千冊」によれば、≪今日のあまたの現代小説、なかでも村上春樹吉本ばなな江国香織に代表され、それがくりかえし踏襲され、換骨奪胎され、稀釈もされている小説群の最初の母型は、倉橋由美子の『聖少女』にあったのではないかと、ぼくはひそかに思っている。≫って書いていますが、梨木香歩はどうなんだろう。違うだろうなぁ…。悪意が毒がない。この小説にツールとしておどろおどろしいものが次から次へと登場するが、気配に不気味さが感じられない。多分、それは作者のとても健康な文体によるものだろう。
 能面師、人形師である澄月(赤光)の作品、りかさん―どうも、リカちゃん人形の刷り込みがあるから、読み始めはひっかかってしまった。作者は意図的にりかという人形名をつけたのでしょうか、―勿論、商売で多少なりともお世話になった1967年生まれのリカちゃん人形とは履歴が全く違います。―でも、読むにバリアがかかったのです。
 本書のりかさんは、クルドのドラゴン、能面の竜女、蛇、メドゥーサー、蝶、蛾などに変身する容なきもの、見えないもの、って言ってもよい。人形のりかさんは何ものかのお旅所なのです。蔦の絡まるチャペルで様々な物語が生み出される。そして、『からくりからくさ』は小説として見事に着地しています。―まあ、物語としてりかさんは飛び立つのですが―不満としてはそのことでしょうね。≪生き抜いた赤光は確かにこれを見たのだろう。そして自分たちにそれを伝えた。問題はその次だ。次の展開だ。/神崎が探しているのも、たぶん。≫≪「……永遠に混じり合わない唐草。二体のりかさんのように」≫、グローバルでなくて陰陽なんだ、

「ほら、このパターンはここから明らかに変化している。原始的なたくましい勢いこそそそがれているけれど、より洗練されて、穏やかな調和を保っている。ねぇ、大事なのは、このパターンが変わるときだわ。どんなに複雑なパターンでも連続している間は楽なのよ。なぞればいいんだから。変わる前も、変わったあとも、続いている間は、楽。本当に苦しいのは、変わる瞬間。根っこごと掘り起こすような作業をしないといけない。かといってその根っこを捨ててしまうわけにはいかない。根無し草になってしまう。前からの流れの中で、変わらないといけないから」

澁澤龍彦の『唐草物語』が文庫であるのですが、再読したくなりましたね。でも、唐草と言えば、東京ボン太!、唐草模様の骨壷がありましたね、『木更津キャッチアイ』にも泥棒風呂敷として登場しているみたい。まさに「からくさ」は「からくり」めいて変幻自在。
 参照:http://li-cafe.mond.jp/blog/archives/000130.html