まじめな話

 最近友人のYと一緒に歩くことが思うように行かなくなった。脳に三ヶ所、水が貯まっているらしい。眩暈とふらつきが酷くなった。彼と街を散策すると、(夜ではなくて昼間なのです)吉田修一の『パークライフ』日比谷公園ではないけれど、色々な人たちに出会う。中の島公園、大阪城公園、そして、本屋、喫茶店、もっぱら喋っているのだが、公園でも喫茶店でも知らぬ間に誰かが三人目の人として加わることがある。僕と違ってYは老若男女を問わず初見のアイ・コンタクトで相手の世界に一瞬にして入り込む特技があるのか、相手からまじめな話を引き出す。
 ところで、保坂和志さんがweb草思『途方に暮れて・人生論』というブログエッセイを始めましたね。一回目は「生きにくさ」という幸福です。大学院に残ってまで「好きな専門分野」で「もうそれしかない」と勉強をつづけている人の「生まれる時代を間違った人」の方が幸せでないかとエールをおくっているのです。
Yは朝目覚めると、駅前の喫茶店に行く。いつものように常連の爺婆相手にナイター、ニュース、色々話していると、オーダーを訊きに来るとき以外は喋らないおとなしいウェイトレスが緊張の面持ちでYに挨拶に来る。
 「ここをやめることになりました」、「色々お世話になりました」、でもYは彼女とマットウに喋ったことはないのです。だから社交辞令で軽く受け流し、「ご苦労さん、これからどうするの?」と訊くと、介護学校に行くことになりましたと言う。
 それから堰を切ったように母ひとりとの生活ぶりを恥ずかしそうに喋る。Y自身も自由にならぬ身を持てあぐんでいる身内の面倒を見ているので、他人事ではない。仕事中だし、それまで会話を交したことがないし(恐らく、モーニングサービスでやってきてあっちへ飛んだり、こっちへ飛んだりと話題豊富な彼の話に聞き耳たてていたのでしょう)、
 彼も別件があったから、それからすぐに喫茶店を出て駅に向かった。ふと花屋さんが目にとまり、何の花の組合せか忘れましたが、(僕にしろ、Yにしろそういう知識には疎いのです)Yは花束を購入しリボンまでつけて喫茶店に戻った。そして店主やママ、常連の爺婆のいる前でそのウェイトレスのお姉ちゃんに花束を渡した。
 「ご苦労さん」
 彼女は顔をくしゃくしゃにして涙がとまらない、「こんな親切をしてもらったのは生まれて始めてなんです」
 後で彼はいや〜あ、まいったね、あんなに泣かれるとは思わなかった。
 保坂さんのネットエッセイの平安朝文学専攻の大学院生が「白玉ぜんざい」を目の前に「私は生まれる時代を間違った」という一言で涙が止まらなくなった女学生とウェイトレスの顔が重なり、めったに街を散策出来なくなったYに無性に会いたくなりました。
参照:『風の旅人』編集だより :自分らしさ??