野菜の和、輪、かなしき女王―ケルト幻想作品集

 近くに貸し畑があるため老母の仲間たちが作った野菜のお裾分けに日々感謝しています。今日も、トマト、レタス、キュウリ、ジャガイモと丹精こめて作った成果をありがたく頂戴しているのですが、冷蔵庫の野菜置き場は一杯です。何とかせっせせっせと野菜料理の工夫をしているのですが、僕のスキルでは美味しい野菜料理は無理ですね、野菜サラダは誰でも出来る。てんぷらは後片付けが面倒。それで、昼間はトマトが一杯あったし、唐辛子、椎茸、玉葱、ニンニク、ニンジン、を良く炒めてトマトでとろみをつけて簡単パスタ料理です。
 図書館から電話があって本を借りに行くと月曜社の『燈火節』でした。通常、図書館の蔵書は本体だけで、外箱は処分するのですが、ちゃんと、帯もケースも全部装わせて、美しいままの状態で貸し出してくれました。本書はウラ☆ゲツさんのブログで詳細紹介されているのでそちらを参照してもらいこんな素晴しい本を上梓した月曜社の版元としての力量に驚いて下さい。買わないで地元の図書館から借りるなんて、ウラ声が聞こえそうですが、勘弁して下さい。じっくりと読むべき本ですね。

季節の変わるごとに
/……/冬から春にかけ、らくに手に入るものは、野菜の中で一ばん日本人好みの大根で、それに白菜、小蕪、ほうれん草、果物では林檎とみかんをずうつと六ケ月位たべ通すのである。十二月、正月にかけて乾柿が出る。新春のなますに乾柿を混ぜたものはどこにもない美味である。冬の葱だけは都の西北の畑には貧弱なものしか出来ない。大森や池上あたりの白根の長いあの豊かな味の物は手に入りにくいから、しぜん、葱を防寒料理に用ひることはさほど愉しいとも思はなくなった。それは私だけの話。春になつてまづ楽しみはいちご。春深くなればそら豆やゑんどう。家々の庭や垣根に豌豆の白や紫の花が眼をよろこばせ、夏近くまでふんだんに食べられる。竹の子は日本特有の味をもつてみごとな形をしてゐるけれど、ただ季節のにほひだけで、毎日じやんじやん食べたい物ではない。竹取の伝説や源氏物語にも出てきて、古くからの食料と思はれる。蕗はそれよりも田園調で、庭のすみの蕗をとつてゐる時、わかい巡礼さんの歌なぞ聞えるやうな錯覚さへ感じられる。蕗のとうは鶯の声よりももつと早く春を知らせてくれる。/初夏の空気に夏みかんが現れ、八百屋が黄いろく飾られる。一年中に一ばん酸つぱい物がこの季節に必要なのかもしれないが、すこし酸つぱすぎる。その次は可愛い新じやが。小さい物は生物も青ものもどれも愉しい。びわ、桃、夏のものは林檎やみかんほど沢山たべられない。吉見の桃畑も今では昔のやうにおいしい水蜜をつくらないのかと思ふ。遠方からくる桃は姿が美しくつゆも充分あるけれど、東京のものほどすなほな味ではない。五月六月七月、私たちのためにはトマトがある。どんなにたくさん食べてもよろしい。同時に胡瓜。この辺りではつるの胡瓜も、這ひずりのも、すばらしい物で、秋までつづく。茄子は東京も田舎も、冬の大根と同じやうに日本風のあらゆる料理に最も奥深いうまみを持つてゐて、一ばん家庭的な味でもある。/やがて梨と葡萄が出て、青い林檎もみえ、秋が来る。キャベツ、さつまいも、南瓜、栗や柿。それに松茸の香りが過去の日本の豊かさや美しさを思い出させる。/八百屋の口上みたいに野菜と果物の名をならべて、さて困つたのは、牛蒡とにんじん、どの季節に入れようか?お惣菜に洋食に、花見のお弁当に、正月のきんぴらに、殆ど一年ぢうの四季に渡つてたべつづけてゐる。あの牛蒡の黒さ、にんじんの赤さ、色あひだけでもにぎやかで、味がふくざつである。それから書きわすれたのは、八月の西瓜。グラジオラスの花に似たうす紅色ととろけるやうな味覚。口のなかでとけてしまふものはアイスクリームやショートケーキもあるけれど、あの甘いさわやかな味が水のやうに流れてしまふことがはかない気持ちになる。戦争を通つて生きて来た私はそんなに物惜しみするやうににもなつた。ずつと前に親しくしてゐたB夫人は西洋と日本の料理を器用にとり交ぜて私たちに御馳走した。/……(p9〜)

戦後の武蔵野です。随筆家、アイルランド文学徒、歌人として片山廣子松村みね子と二つの名を持ち東西を翔る。
参照:『燈火節』が参考文献に入っています : ウラゲツ☆ブログ