ラチオって雑誌?本?
ややこしい話になりましたが、本屋に行くたんびに書店員とかようなやりとりが増えましたね、中々話が通じない、ネットならそんな煩わしさがない、アマゾンのなかみ検索が増えれば、益々ネットにお客さんが流れてしまう。リアル書店さん、頑張って!、
そんなもやもやをもって家に帰り、翌朝、駅前の小さな本屋さんに寄ったら、雑誌棚に二冊表紙を見せて差していました。さすが、ここは10坪もない店なのに、とてもよく本を知っている女性の書店員がいらっしゃるのです。下駄履きで行ける範囲内に本をよく知っている女性でなくともオヤジでもいいのですが、そういう本屋さんで買いたいものです。中堅規模の本屋さんで古い地元では有名なところがあるのですが、ここで本を買ったとき、ブックカバーが素敵なので、余分に二、三枚下さいとレジの女の子に言ったら、店主が飛んで来て、ブックカバー一枚でいかにコストがかかっているかと、レジ前で講釈されました。散々喋って今回は特別にあげますともったいぶってカバーを差し出したのですが、唖然としましたね。ブックカバーは歩く広告塔なのだから、いい販促になるのに、何十枚くれといっているわけではないのに…。それ以来ここでは本を買わないことにしたのです。店内で本屋の経営について声高に語るのは尋常ではないですよ。僕は何にも訊いていないのですよ。
ということで、ちっちゃな本屋さんで購入しました。そしたら、毎日新聞の日曜欄“本と出合う”に『ラチオ』について記者のコラムが掲載されていました。
「不思議な体験でした。アメリカの現在がたちまち分かる。ぜひお読みください」。作家の丸谷才一さんから、こんな電話をいただきました。[後略]
編集長の上田哲之さんの創刊の狙いは「新しい思想誌の試みです。筆者も世界に広げようとローティを取り上げました」。と記者は書いている。
『ラチオ』所収のローティの論文「予測不能のアメリカ帝国」を最初に読みました。
合衆国のリベラル学者と急進的な学者との間でこれまで長く続いてきた我が国の本性に関する見解の相違――60年代に始まった相違――は、9・11以来のブッシュ政権の自信たっぷりの傲慢さ――合衆国の覇権には疑問の余地がなく、他の諸国は合衆国に世界の治安維持を喜んで任せるべきだというその思い込み――をどう記述するかに反映している。
急進派――合衆国についての彼らの見方はノウアム・チョムスキーやゴア・ヴィダルの書き物から引き出される――の視点からすれば、この傲慢さは、われわれが結局合衆国の仮面をはがして、その本性を万人に明らかにした結果である。だが、私のようなリベラルな視点からすれば、それは、われわれが2000年にとりわけひどい大統領を選び、2004年に彼を再選した結果である。「アメリカは結局その本性を露わにし、自分が恥知らずの帝国主義的権力であることを暴露したのだ」と急進派は言う。これに対して、「もちろんブッシュの取り巻きたちは合衆国に疑問の余地のない帝国主義的覇権をどこまでも行使させたいと思っているが、彼らが今権勢をふるっているからといって、それは彼らがいつまでも思い通りにできることを意味するものではない」とリベラルは言う。その違いは、「ドイツはナチスが政権を掌握したときその本性を露にした」と言う人々と、「ドイツは1932年に破滅的な不幸にみまわれた」と言う人々の違いに相当する。―『別冊「本」ラチオ01号』173頁より―
成程、丸谷さんが言うのも分かります。ローティのこの寄稿は僕の「もやもや」を幾分なりともすっきりさせました。まあ、僕はチョムスキーの言うように合衆国には他国に干渉する権利がないに賛同しますが…。
参照:http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/dokusho/
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/dokusho/news/20060219ddm015070077000c.html