スパムよサイナラ、バイ、バイ

 NTTより業者が来て、とうとう光ファイバーの接続をしました。去年の11月に申し込んだから、七ヶ月もかかったのですね、工事に来た兄ちゃんに行ったら、僕は一年もかかりりましたと言われました。長い人で一年半もかかった人がいるのですって、ひかり電話と言っても電話番号はそのままなので、戸惑うことはないですね、通話料は日本国内一律で、8.4円/3分(税込)です。多分、従来よりは安くなるのでしょうね、明日、プロバイダーから派遣されてサービスでインターネットの接続してくれるのですが、自分でやるのが面倒なので折角だからやってもらうことに決めました。
 最近、スパムメールが尋常でなく、同じメールが同時刻に何通も来るようになりました。サンダーバードで検閲してもらっても懲りないですね、悪意を感じます。それで、今度、プロバイダーを変えることに決めました。そして新しいアドレスはもう公開しないつもりです。個別にメールでお伝え致します。ミクシィのメッセージ機能、ブログのコメント機能でを出来るだけ利用して欲しいですね、結局、スパムは毎日、百通以上ありましたが、一通の例外なく、「あなたのブログを読みました」というコメントが偶にあるものの、このブログを読んだ形跡はまるっきりない、巡回のソフトを使ったロボットによるスパムであろうけれど、ちっとも面白くも洒落にもならないスパムですね、でも、やっとこのくだらなさから解放です。
 しかし、スパムって出会い系が殆どですが、出会いの需要がこんなにもあるわけ?リアル場で声をかけよと言いたいね。まず、挨拶から始めましょう。見知らぬ人であっても、「おはようございます」、「こんにちは」、「こんばんは」、と声をかけましょう。去年、僕は法事で瀬戸内海の港街にお邪魔したおり、学校帰りの女子高校生たちに「こんにちは」って声をかけられましたよ。ホント!気分が爽快になりました。町内会でも挨拶運動をしていますが、昼間、奥様たちが首から名札を提げているのをちらほら見かけたものだから、何の札だと思ったら、「保護者」でした。そうやって保育園の子どもたちの送り迎えをしているのでしょう。大変ですね。ネットがホンノきっかけでオフのリアル場が出会いの王道でしょう。
 『風の旅人』の20号は昨日駅前の小さな本屋さんで購入しましたが、武田徹の『携帯電話の不自由』の記事(117頁)はテオドール・アノルドの言葉で有名な一節、「アウシュビッツの後に詩を書くのは野蛮だーー。」を巡って武田さんらしい考察をしている。そのことと、「携帯電話の不自由」と結びつけているのです。詳細は本書で確かめて下さい。

 そして、そのネットワークに繋がらない場所があることは語れない。先に書いたようにまずは情報の封殺があるが、それは単にサービス提供エリアの中でケータイが繋がるか否かという些少な問題では実はないとも思うのだ。ネットワークの「外部」があたかも存在しないかのように扱われる環境の中に生きていると、「外」に対する関心、好奇心自体が萎えて行く。こうしてケータイ万能の時代に「外部」を喪失して閉じた空間となりつるある私たちの生活世界は、もはや外に出られない人々を集めた強制収容所とどこか似始めている。なにしろそんな携帯電話のネットワーク上にも、かって、強制収容所の門に掲げられたスローガンと同じ、詩のような言葉が流れるのだ。アウシュビッツの後に詩を書くのは野蛮だというアノルドの警句を聞き入れなかった私たちは、再び詩に酔いしれて理性を失い、自由を夢見て不自由になり、文明的であろうとして実は野蛮となってしまう轍を踏んでいるのではないか。

 ここで門に掲げられたスローガンは「労働こそわれらを自由にする」です。そのことと武田さんの言う詩的言語は少し説明が必要でしょう。携帯電話の電子書籍用画面は縦9〜12文字、横5〜6行の表示が標準的らしいですね、延々と段落のない散文は端から敬遠されて読んでもらえない。電子書籍の売り上げは04年から05年で45億円から100億円になったのですが、武田さんの本も電子書籍化されているが年間数冊しか売れていない。印税収入は数百円です。しかし、武田さんがもっと驚いたのは、電子書籍を携帯で読むのは昼間の通勤、通学中の移動中だと思ったのに、電子書籍販売業者は信じがたいことを言う。携帯での読書時間が夜7〜8時以降に延びてピークが深夜1時なのです。要するに携帯で読書する習慣が違和感なく受容されているのです。そこで、先ほどの表示文字数ですね、少ない文字数で読み進められるのは、少ない言語で言外にイメージを膨らませる、いわば詩的な言語だろうと、武田さんは危惧するわけです。
 改行のない息継ぎの長い文章は今思い浮かべると保坂和志さんですね、ゴダールの『映画史』も延々と続きましたね、改行に行き着くまで大変でした。なるほど小泉さんは詩人なのですね、スパムメールの文章も詩的言語なのでしょうか。