浮浪雲のボース

中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義浮浪雲 81 (ビッグコミックス)「ニート」って言うな! (光文社新書)「あたりまえ」を疑う社会学 質的調査のセンス (光文社新書)
 政治にまつわるものごとはちょいとしたメガネの偏光で見える風景が変わりますね、常に思考実験は忍耐強くやるしかないでしょう。そしてそれに耐えられものが何とか風化しないで、説得力を持った言説として生き残る。でもそういう王道は回路が幾重にも屈折しているから、なかなか接続しない。それより、情の回路でスパ!っと説教されたがっている人々の方が多いでしょうね。
 小沢一郎夕刊フジ連載のコラム(第226回)『「ニート激増、85万人」「漠然と他人に寄生して生きるなどとんでもない」「甘やかせた親が最も悪い」「家から追い出して自活させよ」 』がネットで色々と波紋を広げているみたいですが、本田由紀×内藤朝雄×後藤和智の『ニートって言うな!』を読んで欲しいですね、特にこの「ニート激増、85万人」、そのものを科学的に検証して実体のある数値かどうかから、洗い直した上記の共著は必読だと思いますね、一定数(42万人?)の働かない、働く気もない人は今も昔もいる。15歳から34歳までという縛りがありますが、そのような若者たちを許容する社会は住みやすい社会だと思う。保坂和志さんの言葉で言えば、プータローですね、フーテンでもいい、乞食行者でも、<働く人>でなく、<遊び人>など、浮浪雲(はぐれぐも)ですよ。でも、もうそんな余裕がない、社会的コストがかかるって言うことでしょうが、世間が狭くなりましたね。
 『若年無業者の生存コスト』でanhedoniaさんは独特の視点でニート問題を検証していますね。

みんな勘違いしているみたいだけれど、私たちが生きていくコストの大部分は、社会的な関係を維持するために使われているのであって、だから、そういう諸々の関係性から降りて、一日中部屋に籠もってTVをぼんやり見て、ただ「生存」するだけだったら、そんなにお金は必要ない。現代の日本では、家から社会へと押し出すには、かなりのお金が必要であって、だから、裕福な家庭よりも貧しい家庭の方が若年無業者を生み出しやすいということも十分にあり得るし、実際に、低所得層な若者の方が、家から離れられないという状況もある。

 そうなんだよなぁ…。しかし、マスコミの報道の仕方で風向きが変わりますね、このブログに過去どこかに書いたことですが、僕が現役の書店員の頃、某新聞社の本で『乞食学入門?』っていう新書がベストセラーになりましたね。良寛とか山頭火について書かれた本ではなくてハウツウものです。まあ、当時、プータロー、フーテンは女の子たちにもてましたから、まっとうに正社員になることが「カッコー悪い!」っていう風潮があったから、こんな実用書が売れたのです。「フリーター」という言葉も「リクルート」が創刊された頃、あこがれのカッコーいいカタカナ職種?としてもてはやされたのでしょう。従来使っていた「アルバイト」とどう違うのか、少なくとも新鮮度が違っていたのでしょう、それがいつの間にか、人材派遣法が施行された80年代後半から「正社員」×「協力社員」という構図が浮上し、それが、「勝ち組」×「負け組」という二分法にリンクして、正社員(勝ち組)が格好のいいものとしてもてはやされるわかりやすいネオリベの時代になったということでしょう。
 ところで、僕たちも多少そうですが、すぐ下の全共闘世代にとって特にアメリカに対して、「否!」と言いつつ、「あこがれのお父さん」みたいな屈折度で繋がっていた。でも、今はもう、ブッシュを通してアメリカはリスペクトされていない、そんな視点から書いている内藤朝雄さんの『脱ア入欧』は具体的な指針を掲げており、あり得る選択肢として面白く拝見しました。

自民党アメリカ型、民主党がヨーロッパ型の役割分担をする政治システムをつくる。民主党政権交代をねらえるヨーロッパ型社会を提案する党として、アメリカ型社会を提案する自民党と政権を競う。

という提言をしている。
 小沢一郎民主党がヨーロッパ型社会を目指すかどうか、でも、自民党と差異化を計るとすると、そうなるでしょうね、ただ、『脱ア入欧』ではどうでしょうか、潮流はまちがいなく「ユーラシア」が核になると思いますが、中島岳志の『中村屋のボース』をやっと読み始めて、ボースの波瀾万丈の「浮浪雲」ぶりに『脱ア入亜』のことについてマジに考えたくなりました。
 そうそう、上の内藤さんの引用は「本日脱稿した月一の『図書新聞』の時評」からで、『脱ア入欧』を広く世界に発信したいので、誰か英訳して下さいとブログに書いています。『入欧』だから、仏語、独語でもいいんじゃあない、そう言えば僕のささやかなブログでも色々な国の人たちが読んで下さっている。そうならば、内藤さんのような提言は様々な言葉で翻訳してブログアップするような作業がもっと気楽にやれるようになれば、「web2.0」の世界の凄さ、可能性が実感としてわかるようになるでしょうね。