途方に暮れた記憶

 オリオンさんが、一回目二回目とで小島信夫の『残光』、保坂和志の『途方に暮れて、人生論』についての記事を長文アップしています。ここで、言われている、書かれていることは、「記憶について」だと思う。小島さんって書いた原稿を読み直さなかったらしいですね、逆に師匠にあたる森敦は推敲ばかしして直ぐに原稿を破り捨てる、芥川賞を授賞した「月山」にしたところで、森富子の『森敦との対話』(集英社)によれば、古山高麗雄が書き上げた月山の原稿を森敦に渡さないようにしたというエピソードがありましたが、小島信夫は『アメリカンスクール』で芥川賞をもらったのにもかかわらず、文学の師としてサントリーオールド?を持参で原稿を持ち込む、森さんは推敲に取り憑かれた人だから他人の原稿でも朱を沢山入れる。そういう研鑽の果てに生まれたのが『抱擁家族』でしょう。
 小島さんって、「受け」の人なんですね、森さん、大庭みな子さんもそうですが、 保坂和志さんが小島さんの磁場に惹かれて今年、仲間達と『寓話』を復刻発刊したでしょう。僕も一冊購入しましたが、小島さんの作家としての営為は書いている途上の一回性しかないということなんでしょう。膨大なテキストの集積になるのは当然です。読み手もそんな覚悟で読まないと小島さんの作品に入っていけない。森さんは本当に寡作な人だったのに小島信夫のファンの幸運は作者自身が全然覚えていない「生」の堆積が作品として読めることにあると思う。
 ただ、オリオンさんも書いているように、読んでいる途上では面白かったのに、読み終わったらほとんど忘れてしまっている。僕も単行本ではなく、雑誌『新潮』で掲載された『残光』を迷路にはまり込んだ気分で読んでしまったのですが、例えば『残光』についてレビューを書けって言われても書けないですね。自分で書けないもんだから、こうやってオリオンさんの記事を読むと多少、『残光』の記憶が蘇るところがありました。
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