あれは極光だったのか?

kuriyamakouji2006-09-25

 ソクーロフの映画『太陽』をやっと見ました。映画を見る前に、本を読んだり、色々な人のレビューを拝見したり、禁じ手のあまりにも情報を仕入れすぎて、まっさらな気持ちで見ることが困難だと思ったのですが、思い描いていた予想を遙かに越える映像の官能さにまず驚きました。僕が別の国の住人であったにしても、昭和天皇ヒロヒトをまるっきり知らなくても、映像そのものに圧倒されたでしょう。
 詳細な時代背景、批評は様々なジャンルの人が天皇制、戦争責任、憲法九条の問題など、大文字、小文字で語っていますが、そのようなメッセージ性を語ることを抑制して天皇の内面に切り込んでいったソクーロフのカメラは天皇を通してイッセー尾形の内面を見事に表現し得たという不思議な感触があります。
 僕が見たのはまさしく、今まで、僕の中にあった昭和天皇でもなく、だからと言ってイッセー尾形でもなく、でも、まさしく「昭和天皇ヒロヒト」そのものだという圧倒的なリアル感は、まるで「夢の中のリアル感」に似ているとしか言いようがない。上映中に僕だけでなく両隣の男の人も、女の人も次第に身を乗り出してモロに映画に入ってしまっていました。
 益々、ソクーロフの他の作品も見たいと思いました。NHKで撮ったドキュメンタリーも再放送しないですかね、
 参照:画面サイズの謎 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
    上映はまだ、関西は遅い! - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
    イッセー尾形/ソクーロフ - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
    太陽 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
    http://ch.kitaguni.tv/u/11106/%B1%C7%B2%E8/0000389571.html
 第七藝術劇場は画像でサンポードというビルの上にボーリングのピンが見えるでしょう。そこの6階です。久しぶりに十三に行ったのですが、本当に変わらない街ですね。この一帯は風俗エリアです。だから、女の人が一人で夜に観劇するにちょいと、勇気がいるかもしれません。東京の赤羽は随分変わったけど、十三は大昔と一緒ではないかっていう感じです。上映時間まで待ちがあったので、適当な喫茶店、本屋を覗こうと思っても、まるっきりない!せめて、ドトールとか、ブックオフがあってもいいのに、見当たらなかったです。街と第七藝術劇場と、そのミスマッチ振りがいいのでしょうか、しかし、映画を見終わってゆっくりと珈琲を飲みたかったです。そしたら、阪急の十三駅の構内のそれもホームに二階建ての珈琲館がありました。
 行きは梅田から淀川の大橋を渡って歩いて映画館まで行ったので、帰りの阪急線で気がついたわけです。天気が良かったので川風は気持ちが良かったです。

 追記:たけくまさんはこの映画について「退屈なのに面白かった」と的を射た表現をしている。ソクーロフの『太陽』: たけくまメモ
 ◆そうだよね、でも、退屈って言うのは例えば、「旗本退屈男」と言うような退屈なんだろうなぁ、何を言っているのか僕もわからないが、「緊張と共に時間がゆったりと流れて最後まで映像に身を任せた」という悦楽が余韻として残りました。人間宣言をレコードした録音技師の自栽の報が痛みとして、そんな夢の悦楽(ファンタジー)を目覚めさすには、あまりにも映像が耽美でありすぎたのです。
http://youtube.com/watch?v=St5cDB8vCMshttp://youtube.com/watch?v=cmX1tRaOa6Uhttp://youtube.com/watch?v=et1XK0sOUN8http://youtube.com/watch?v=2YuWcg3oz5Q