アカルイびんぼう

びんぼう一代?五代目古今亭志ん [VHS]佐賀のがばいばあちゃん [DVD]
 京都国立近代美術館に行ったついでに久しぶりに、府立図書館に寄る。下のコメント欄で、てるてるさんが木下恵介の『女の園』についてカキコしていたことから触発されて、見てみようかと思ったのですが、なかったですね、それで、仕方なく、NHKで特集された古今亭志ん生の『びんぼう一代』があったので、一時間近く、ビデオを見ました。確かに志ん生そのものは、びんぼうなんてものではなく、まわりをびんぼうにさせたのでしょうね。先日、市民ホールでみた「佐賀のがばいばぁちゃん」はアカルイびんぼうで生きたばぁちゃんだったのですが、
 同じびんぼうでも、毎日新聞朝刊(9/26)の『CHINDIA』(中国+インド)の記事によると、ITによるインド経済の活性化が「リッチ・ミドルカースト」と「プア・ミドルカースト」の二極化を生み、様々な暗部があるけれど、大筋では中印は「最良の時代」に向かっているとのことですが、同じ紙面(13面)で、チェンナイにあるスラム「ビリワッカム」は「腎臓村」と呼ばれており、臓器売買のブローカーが暗躍しているとの日本人記者の記事ほど、臓器売買までやらざるを得ない、びんぼうはアカルイとか、クライとかという次元ではないですね。
 大体腎臓移植の7,8割は臓器売買によるもので、片方の腎臓を6年前売ったという女性は邦貨で約6万3千円で売ったという。子どもを学校にやるために必要だったのです。そのような貧しい住民、カネを積んでも直したい患者、利益優先の病院の利害が一致して臓器売買の闇ビジネスが行われているわけ。
 科学の進歩が新しいビジネスを生んでしまう。インド政府は「血縁者への自発的な提供」だけを認めているが実際は他人への売買が横行しているわけ。年間で数万件という凄まじさだ。臓器移植の技術をもう消し去るわけにはいかない、どんどん、進歩してゆくだろう。闇ビジネスのままで放置しておくことは益々問題を大きくしてゆくことにしかならない。
 映画「佐賀のがばいばぁちゃん」は色々な工夫で孫を養うたつきを考え実行するが、まあ、あの時代は臓器移植の技術はなかったから、そんなことを考えついても無理ですが、今の時代はそんなビンボーに「臓器を売らんかいなぁ…」という囁きが、インドのスラムだけでなく、世界のどこかで闇ビジネスとして行われていると思うとアカルイビンボーと言ってはいられないですね。でも、今の時代でも、ばぁちゃんや、じぃちゃんの臓器は「お呼び」ではないんだろうね。僕の身体を臓器のセットとした場合、商品価値としてはゼロなんだろうなぁ…。お金を借りる時に生命保険をかける行為が問題視されていますが、「いのち」も「臓器」も市場に提供しなくてもやっていける最低限のシステムは絵空事であろうか?