父と息子


 ソクーロフの映画『ファザー、サン』を観ました。父&息子の物語です。父が息子を愛するということは、「苦悩」を与えることであり、息子が父を愛することは、「苦しむ」ことで「悩む」ことででしか表出はない、父と子が天蓋の屋根でサッカーを興ずる様とか、湾岸都市を陽がさんざめく光、雪景色、ソクーロフの映像は、哀しく胸が締め付けられますね。
 京都みなみ会館チラシから引用。http://www.rcsmovie.co.jp/minami/

重厚な建物の間の石畳を路面電車が走り、丈高い門扉の家々の向こうに、人々の暮らしが数百年に渡りひっそりと息づいている静かな街の一画に暮らす父と息子。父親は軍隊を退役し、いい職を求めていた。軍人養成学校に通う息子は、日頃から理由のわからない悪夢に苛まれていた。父に庇護されながらも、だが、息子は思春期を迎えやがて父から自立を成し遂げてゆく…。本作は、人間関係に焦点をあてた三部作のうちの第二作、一作目『マザー、サン』と同様、場所も時代も架空である。会話が増え、音楽が多用されているという点では、これまでの彼の作品とは異なる側面も見られるが、死の影が漂い、奇妙に不釣り合いな画面など、“不調和の調和”の醸し出す美学は健在で、「透明感に溢れたソクーロフの最高傑作」との呼び声も高い。

 映画館に逃亡している間にも相変わらず、世情は“いじめ問題”でヒートアップしている。僕が言えることと言えば「逃げる」ことでしょうね、「登校拒否」でも「家出」でも「会社からの蒸発」でもなんでもいい、海外に飛び出すのもいいでしょう。でも子どもにとって選択肢は「登校拒否」しかないか、まあ、逃げることの得意な僕が言ってもあまり説得力がないのですが…。
 しかし、leleleさんも書いていましたが、丸激での「いじめ」に関する内藤朝雄さんのトークは傾聴に値する。なんで、マスメディアは内藤さんを「いじめ」について語らせないのか、ホントにそう思う。マスメディアに登場するコメンテイターのレベルが益々劣化していますね。藤原新也さんのブログ朝日新聞にのもの申すエントリーや出版されたばかりの『黄泉の犬』の反響など、組織を怖がって発信する言説や、組織に依存する言説は相も変わらず劣化の一途を辿っているということでしょう。
田口ランディさんのオンライン書店ビーケーワン:黄泉の犬『黄泉の犬』についての記事がアップされましたね。
http://runday.exblog.jp/4953124/