本は読むもの、書くもの?

風の旅人 (Vol.23(2006))

風の旅人 (Vol.23(2006))

 『Shinya talk(11/28)』の記事新風舎の件が引き続いていますが、僕は今日、堂島にある新藤田ビル地下の『熱風書房』を覗きました。予想以上にセレクトショップらしいレイアウトでなかなかいいじゃぁんという第一印象でした。横長で奥行きのないガラス張りで外から店内が一望出来ます。
 丁度昼時だったのですが、お客さんは僕を入れて三人、真ん中のレジカウンターに若い女のスタッフが一人、右側は壁面に本が並べられて店内になっているのですが中央にテーブルを置いて、三人のスタッフらしい人?が会合をしていた。内容はよく聞こえるのです。
 レジの左側は壁面とセンターにも棚を設置しているから、お客さんはそちらに誘導するラインになっているのでしょうが、別にレジの子が監視して右側に行けないことはない、地続きの店内だから、そんで、会議?しているのも構わずお邪魔ムシしたのですが、ヒートアップしたやりとりをしていました。こんなところでオープンにしていいのって、感じです。通常ならバックヤードか近くの喫茶店でやるような話を平気でしている。別に聞き耳をたてなくても聴ける傍で、棚を順番に見て行きました。どうもお客様(著者の勧誘)の営業をしている感じではなかった。まあ、憶測で書かない方がいいでしょう。
 かぜたびさんが『自己表現のビジネスの隆盛』の記事内で取り上げている平間至賞の平間至の写真集が入り口のメイン棚にメンチンでした。店内に朝日新聞発行の「be on Saturday」(10月7日号)、「新風舎通信」、600頁以上もある新風舎の総合目録、文庫目録などがあったので、色々もらってきました。
 新聞の一面には東京・青山の「熱風書房」内で社長の松崎義行がカラー刷りで掲載されている。冒頭からスゴイことを言っている。
 「なんか、みんなが本を出せばいいと思うんですよね。お金やビルを残すより、本を残す方がいい人生だと個人的には思います。僕も本を残したいし」
 社長の談話では150頁前後の本を500部印刷したとして、著者に150万円払っていただくのが標準だということです。でも、ネット上でロムすると250万円という数字が踊っているのですが、その真ん中をとって200万円として、この国のみんなを一億人と言わないで一千万人、十人に一人が生きた存在の証に一冊の本を作ることがあたりまえの文化として根付くなら20兆円規模のビジネスになりますね、
 出版業界は本を売ることが商売だったのですが、こうなればパラダイム変換で、そうではなくて、国民一人一人が本を書いて、ちゃんとISBNコードのつけて国会図書館にも一冊納本する。「本は読むためではなく、書くためにある」ってことになる。現在、この国で売れる雑誌も書籍も全部入れても一年間の売り上げが二兆円にもならないですよ、一兆五千億円強位でしょう。10倍か…。恐るべき「自己表現ビジネス」ですね。本屋って本を読んでもらいたいビジネスのはずなのに、一億総書き手なのか、読み手が段々少なくなる、300冊も売るなんて大変ですね。
 しかし、まさか、全部数印刷していないというはないとは思うけれど、倉庫料はどうなっているんだろう。参照:http://retirement.jp/shimpusha-report/shimpusha-report2.html
 ★ITARUJET.COM
 ◆そんなことを考えながらぶらぶらしていたら、梅田のヒルトンに突き当たった。結構、近くなんですね、久しぶりに五階のジュンク堂を覗いて、さっきの「熱風書房」の棚を思い浮かべながら、あれも本屋、これも本屋であることが、不思議でした。
 『風の旅人』の最新号が平台に平積みされていました。
 僕は地元の本屋さんんで買うことに決めていますから、パスして、多分、地元のちっちゃな本屋にはないであろう萱野稔人の『カネと暴力の系譜学』(河出書房新社)を購入しました。
カネと暴力の系譜学 (シリーズ・道徳の系譜)

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