1984年の朝の夢?

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)
注:階段を下りて右手が「熱風書房」
 NHKのテレビを見ながら食事をしていたら「もっと読まれる、自費出版」っていうプロジェクトが中堅出版社で立ち上がって、自費出版する元商社マン氏が出演していた。ただ、従来の自費出版というノリではなく、版元が積極的に販促を行うと言ったもので、(まあ、この報道そのものが、出版社名は明かしていないが著者の名と書名、書影はばっちりと報道されている)企画出版に近い共同出版みたいですね、それでも著者自身が多額なカネを投資するのでしょう。
 版元の担当者の談話では著者の故郷の本屋さんに積極的に置いてもらうように販促するとのことです。著者の話がおもしろかった。
 「今までだったら、親戚とか会社関係、知人とか身内周辺のネットワークでしか、読んでもらえなかったのですが、見も知らぬ人たちに読んでもらえるという歓びは大きいです。書いている内容は僕自身の体験談です」って、だったら、かようなブログで充分、効果はあがるはずだんだろうけれど、一冊の本になるということが「仏像を彫る」(知人で始めた人がいます)に似た「カタチ」になるんだろうなぁ、そうそう、能面を彫っているヤツもいる。句集、短歌集、詩集は自費出版として、昔から延々と固定層がいる。でも、ささやかに周辺に配っただけで、そんな風に見も知らない人に読んでもらいという「自己表現の叫び」はそんなに強くなかったはずです。
 朝日にしろNHKにしろ、マスメディアの象徴たるところが、自費出版共同出版が巷でブームになっているのかどうか、わからないが、前向きに取り上げていますね、ちなみにHNKの報道は「おはよう日本」の「応援します自費出版」のトレンド情報です。
 チャンネルを切り替えると財政破産なった夕張市の悲惨な画像が流れていました。先が見えないですね、
 僕が今思いついたことですが、でも結構、現実的な実行可能性のある案ですよ。かぜたびさんの言う「自己表現ビジネス」の問題は、例え20兆円ビジネスだとしたところで、300冊×1000万=30億冊の在庫を持たなくてはならない、松崎さんの話では5,6年、時間をかけて売って行くということでしょう。断裁なんてとんでもない、そうなら、その倉庫保管料はとてつもないコストがかかる。本屋さんは倉庫なんて持たないですよ、店内が倉庫でもあるわけですから、取次も余程、回転のいいものでないと在庫を持たない、当然、自費出版社系、共同出版社系のものは原則、非在庫(取次倉庫には保管しないという業界用語)でしょう。
 例えば膨大な点数を抱える新風舎は一万点×300冊=300万冊の在庫(ちゃんと全部数印刷しているなら…)ぐらいになると僕は勝手に予測するのですが、この数量はメガ書店の○倍以上になる。図書館としてその1/10でも中央図書館級でしょう。微々たる回転数しかないとしたら、長年持ち続けるしかないわけです。20兆円ビジネスが大風呂敷としても、その1/10の100万人の人たちが「書き手」になれば、一番、悩ましい問題は保管場所でしょう。そんな流通倉庫として夕張市の施設が利用できないかなぁと考えたのでした。
 そんなに「自己表現したい欲望」が強いなら、国家プロジェクト、町村プロジェクトとして「自己表現掘り起こし」のビジネスを立ち上げて財政の補填にあてるというのもいいですね。
 夕張市の報道を見ていたらなんら具体案がないみたいだから、そんなことを思ってしまいました。
 「書店員の異常な愛情」さんが、ブックオフとTSUTAYAの合弁について書いていたが、「自己表現ビジネス」って究極の「心」のデータが集積出来るわけだ、行政にとって、そのデータも生きる。「自己表現」を極端に薦めることによって、ジョージオウエルの「1984年」の世界が可能となる。「Death Note」にひょとしてサインするみたいなことになってしまうのだろうか、ひっそりと潜む影が段々と少なくなって行く。
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