「白い本」の理不尽な生?

オンライン書店ビーケーワン:マイブック
 やっぱしなぁ…、藤原新也さんの共同出版新風舎の続編『私は新風舍の不合格者へコメント書きをしていました』を読むと思ってしまいました。「私が一番驚いたのが、刑務所、精神病院からの作品が多いということです。」、成る程、双風舎日乗のコメント欄でロブさんが、メンヘラーが多いとコメントしていましたが、処方箋として「自己表現偽薬」を投薬して出版ビジネスをマニュアル化したのだろうなぁと言うことが見えてくる。
 まあ、それは表層としての出版であって、「ニセ札作り」なのかという疑念が生まれるが、現在の出版流通システムの中で資金繰りの自転車操業で、取りあえず、大取次に商品(本)を納入して手形をゲットする、そして大取次の信用で手形を割り引く。そんな護送船団方式の流れでカネが動き、そのベルトコンベアーに乗っかった商品としての本は「カタチ」さえ整えばISBNコードは付与され国会図書館に納本される。中身は空洞でもいいのです。そんな大まかな見取り図は80年代後半から描いていたのですが、何ら変わっていないのでしょうか。
 過去ログでも書いたことがあるのですが、「白い本」がありますよね、本来、「白い本」は文房具としてカウントされるはずなのですが、ISBNコードどころか、バーコードがついて本として流通している。それで、「再版維持制度」の対象商品をしてカウントされる。何かオカシイと思いませんか?僕は本屋にいる頃からオカシイと思っていましたね、でもそんな些末なことをほじくりかえすのも、「いい加減で、大まかな」僕には異見を維持、継続することが出来ません。でも、喉に小骨が刺さった感じですね。
 僕が言いたいのは「白い本」も本ならば、新風舎のやっていることも許されるのではないか、「新風舎の問題」を出版流通業界全体の問題として検証しなければ、第二、第三の新風舎が表れるだけであろうということです。一部の出版社を除いて大勢は本音のところで、新風舎のような「自己表現ビジネス」を立ち上げたいと思いつつ、そこまで、居直り、赤裸々になれないだけではないか、
 実際、大出版社の正社員の給料は他の業界と比べても高い、でも、現場の書店員の給料は他業界に比べてももの凄く低い。そのような関係は大新聞社の記者と新聞専売所で働いている配達員との雲泥の格差に似ている。要は下で連日書いているようにB層のインテリゲンチャが時代状況を分析してもC層が彼らのネタに利用されているだけではないか、例えばかような言説はカネのないC層だって言える。わざわざ、ご高名なインテリゲンチャがお出ましにならないで、当事者の若者に喋らせればいいのではないかと言うことです。

 今年は「ワーキングプア」という言葉が巷で流通するようになりましたが、この貧困層(C層)、人材派遣会社経由のフリーターなどの非正規雇用者は、正社員並に働いても生活保護水準以下しか得られないわけです。引きこもり→ニートワーキングプアという絶望回路なのです。

 そのような分析は当事者にとって、何の処方箋になんない、生きづらさは加速する。僕は「新風舎問題」とどこかでつながっていると思うよ。
 ちなみにこの新潮文庫の『マイ・ブック』は愛用していましたが、でも結局、本ではなく、日記、手帖と同じように文具でしょう。これもちゃんと、ISBNコード、バーコードがついているのですが、国会図書館に納入しているのでしょうか?。
参照:http://miyadai.com/index.php?itemid=440