アイロニーな昭和一桁、引きこもり

屋根の上のヴァイオリン弾き
青島幸男岸田今日子がお亡くなりになりましたね、昭和一桁生まれの人たちですか、野坂昭如もそうですね、まだまだ、頑張って欲しいです。野坂さんって、三木鶏郎事務所で経理の仕事をしていたんですね、放送作家と言えば青島幸男となるが、三木鶏郎の門下生の永六輔大橋巨泉前田武彦、鶏郎の「冗談工房」のメンバーでもあった野末陳平、こうやってトリーロー周辺の昭和一桁代の人たちを改めてチェックすると、落選した人はいるけれど、みなさん政治に興味のあったアイロニストであったと思うが、でも、そのアイロニーは反体制の意味合いが強い公共性というより「共同体」にシンクロしたものであったかどうか、そのあたりはわからない。それにしても昭和一桁世代が戦後日本の言語をリードしたことは間違いない。三島由紀夫は1925年1月14日生まれだから、同じように昭和一桁世代とカウントしてもいいでしょう。僕より11歳年上で誕生日が同じです。そうすると、僕から見ると「兄貴達」という感じで彼らの活躍をラジオ、テレビ、雑誌などマスメディアを通じて影響を受けたと思うのです。久世光彦もそうです。この世代を乱暴にくくると、闇市・焼け跡」の「豊饒さ」を見てしまったということではないか、「何にもなくなってしまった」、瓦礫の彼方の地平線から日が昇り、日が沈む、その黄昏の美しさに感応したということではないか、そのような地平で見ると三島も又、昭和一桁なのでしょう。
宮台真司『思想塾』の今年最後のお題は『公共性』ですか、僕がもっとも興味あるテーマで、それと『終わりなき再帰性』とを繋げた『公共性』、メタ公共性と言ってもいい。ビッグイシューで45号から上山和樹斎藤環の往復書簡『ひきこもり社会論』が連載されており、このバックナンバーは揃えてなくて歯抜け状態なのですが、偶々手元にある57号で上山さんはこんなことを書いている。

 考えてみれば、結局のところ斎藤さんのされているお仕事というのは、「信仰を失った引きこもり当事者を現実参加という信仰生活にひきもどすこと」に見えます。そしてそれはどうやら斎藤さんにとって、「ラカン派」という唐突な信仰告白と結びついている。
 私の知り得るかぎりの知識を動員すれば、斎藤さんのやりたがっているのは、具体的な教義云々ではなく、「信仰による信仰の自己究明」、すなわち「メタ信仰学」でしょう。おそらく斎藤さん=ラカン派は、「信仰としての症状がなければ、この世で生きていくことはできない」と考えている。
 ラカン派や現世に向けていきなり勧誘されても興味を持てませんが、その《メタ信仰学》についてなら、今の私にとってもっとも切実な問題です。(21頁)

 僕の文脈で言えば《メタ公共性》です。そのことについてのひっかかりがありますね。宮台さんのトークがどのような「公共性」を語るのか非常に興味があります。往復書簡なので、58号での斎藤さんの応答も一部引用します。この往復書簡はいまだに連載中で、街角のホームレスの方達から買わざる得なく本屋ではダメなのですが、現在63号が発売中です。この号では上山さんは今までの論点を整理しているとのこと。僕は淀屋橋で買うことが多い。お馴染みの販売員でもう何年も同じ場所に立っている。

 ラカンは人間が言葉を語る存在であるがゆえに神経症的であると考えた。要するに、人はみな多かれ少なかれビョーキである、と言ったわけね。だから、たいがいの人間の言動、とりわけ無自覚な(そのぶん「必然的」な)それは、だいたい「症状」扱いされることになる。
 その意味で上山さんの言われるように、「症状」は「信仰」に部分的には置き換えられる。「部分的」としたのは、症状は一応無自覚な選択(それゆえの「必然」)だけど、信仰には「信じよう」という意志も絡むから。(略)
 つまり、症状にはメタ視点はないけれど、信仰にはあらかじめメタ視点の意志が含まれる。ラカニアンなんか典型だ。ラカン派はラカンという人間を信仰するというよりは、ラカンをして語らしめている真理を信じようとする。だからラカン本人すら、非ラカン的な発言をして批判されるような事態もありうるわけだ。上山さんの言う「メタ信仰学」っていうのは、その意味でラカニアンにぴったりあてはまる。
 (略)
 ひきこもりは、欲望や信仰といった、いかなる「症状」とも手を切っている時点で「この上なく正気な主体」だ。彼らの苦しみは、いかなる「症状」にも妥協できないがゆえの、いわば正気ゆえの苦しみだ。その意味で、上山さんの「症状がなければ、生きていけない」という命題は完全に正しい。ではどうするか?「症状」にしか救いはないのか?…あ〜あ。言っちゃった。これねえ、どう思いますか。上山さん?(21頁)

 そうなんだよなぁ、あいつは、もの凄く健康で、ただ、家の外と遮断している。病気でないのにどうして専門医に診せるということを説得出来るだろうか、出来やぁしない、ただ、彼がメタ信仰でも、欲望のメタ萌えでもなんでもいい、自分の健康をメタ症状化してアイロニーに語ってくれるなら一筋の光の道が生まれる。上山さんの再帰性は様々なヒントがある。
 ◆『屋根の上のヴァイオリン弾き』を何故か見たくなったのに、DVDでヒットしないですね、1971年製作のアカデミー賞を授賞したというのに…。