豊かさと「生き辛さ」

風の旅人 (Vol.23(2006))ユーラシアの風景―世界の記憶を辿る
 『論座 1月号』の赤木智弘さんのテキスト『現代の貧困』を巡ってネットで色々取り上げられ、ワタリさんの真情のこもったスレから、「ためにする議論」など様々な言説が飛び交っていますね。僕は大雑把なオヤジなので些末なところで、ほじくり返す「再帰的な応酬」は軟化した脳ではついてゆけません。だからと言って「再帰性」のやりとりを否定するわけではない。むしろ積極的にやって欲しい。ただ、些末を基盤としたものではなく、「問いを共有」出来るものであって欲しいということです。その問いの今の段階で見えることは「生き辛さ」に関することだと思う。
 僕は過去ログ藤原新也の『黄泉の犬』をめぐっての赤木さんのコメントで《藤原さんの怒りと赤木さんの怒りは攻撃の先が同じ方向性でありながら、急に赤木さんは別の道を指し示す。藤原さんの道は理解できる。でも赤木さんの道はわからないと言うのが本音です。》このように書いたのですが、《そりゃそうです。あなたや藤原さんのような「実存あふれる豊かな社会」で生きてきた人間が、私のような「実存なき貧しい社会」で生きざるを得なかった人間のことなんか、分かるはずがありません。》、その時まで僕は赤木さんの怒りの基盤は単なるバブル以降、シケタ経済基盤の上で貧しく生きざるを得なかったというところからくると思っていたのですが、勿論、それともつながるのですが、僕自身の中に欠落していたのは、そうか、赤木さん達が生きていた時代は、有り体に言えば「セレブがモテタ時代」で、それは80年代のバブルの価値観が尾を引いている。格差が拡大したけれど、やはりセレブがもてていた「実存なき貧しい時代」が背景にあったんだと。そして、それがまだ続いていることかと思い至ったわけです。
 あの時代、欲望のターゲットがそちらに向かっていた。僕のようなオヤジにも六本木交差点あたりにブランドを取り扱う店をやるので、店長としてやってみないかという声かけがあったりした。でも、実現前に本部はつぶれましたけれどもね。衛星放送のプロジェクトとか、もう、バブルは崩壊したのに遅れてきた地方の資産家達をターゲットに様々な計画書を立ち上げる。時差があったわけでしょう。そうやって地方から金を吸い上げる。1995年の神戸震災、オウム事件までは、そんな浮かれ騒ぎだったと思う。しかし、そうやって地方の資産家達が東京進出を企てて投資をしても、もう、パイは何にも残っていなくて、結局、自分の財産を食いつぶすことになる。そして、又、一つ破産の波紋が生じる。そのような状況が2004年頃まで何となく続いて去年、投資環境が急に活発になった。そんで、「バブル再来か」っていう戯言が出てきたりするのでしょう。
 赤木さんの腹立たしさはかって「実存あふれる豊かな社会」で生きてきた人間(団塊の世代)達の節操のないフットワークなのかなぁと思ってみたりします。恐らく、今の時代は貧困層(不安定C層)に対して、かって、オヤジ達が若い頃に貧しかった頃と比べて社会が見る目が全く異なっているということでしょう。そこが一番の問題点だと思う。そこだけ僕はフォーカスして語りたいと思う。
 作家の石田衣良のフリーターにしても、僕らの世代のフーテンにしても、ノーベル書房から発売された『乞食学入門』(北田玲一郎著・1968年刊)は売れましたね、フーテン、フリーターになることが恰好のいいこと、モテタのです。今で言う「セレブって、ダサイ」と思った時代背景があったわけですよ。それはメインカルチャーサブカル文化論と交錯するところがあると思う。*1
 でも、赤木さんが語る「現代の貧困」は漂流者、放浪者が社会的に、それが無意識的にかもしれないがリスペクトされていた時代の痕跡は一掃されて、まさに「実存あふれる豊な社会」の影もなく、フラットな「実存なき貧しい社会」が露呈したわけですよ。例えばいつでも、正社員の道を選ぶことが可能であった。僕の体験で、正社員で入社したのに、ちょいと、まあ、気まぐれかなぁ、アルバイトにさしてくれと人事部長に申告して、又、一年後かに又正社員にしてくれとわがままを言ったりする。そういうことが許された時代背景だったわけです。そんなヘンな行動を今では許されなくなってきている。
 だから、入り口でフリーターになってしまえば、それが固定して不安定層が固定層になると言ったおかしな現象がおきる。社会的にも白い目で見られる。僕はそのことを84年の人材派遣業法施行が一つの分水嶺だと思うし、海外から留学生も沢山来日して、実態は、当時、人材派遣会社の協力社員という名のフリーターオヤジの僕らと同じ時給で働いたりする。昔、まあ、作家の石田さんの頃まではフリーターが働いていた会社の正社員になることは普通のことであったが、人材派遣会社がフリーター、アルバイトを工面するようになると、精々、人材派遣会社の正社員になる道はあるけれど、実際、働いている現場の親会社の社員になることは絶対にあり得ない。そのことが大きな違いだと思う。そこのところを赤木さんは多分、指摘しているのですが、なかなかわかってもらえないところがあるのではないか、それで、議論が噛み合わない。本来、フリーターは流動的なものであったが、職種として固定的なものになった。フリーターは人材派遣会社経由だから、色々な職種に派遣されることもある。それが流動でも「フリーター」という職種として固定されてしまった。いつまで経っても「フリーター」、それが問題なのです。そして労基法上の脱法が行われ、「ワーキング・プア階層」の誕生と言うわけです。それが問題なのです。この稿は又、つづいて書くつもりです。
 追記:石田さんは1960年生でしょう。そのあたりの時代からくる感度と、風の旅人の編集長佐伯剛さん(1968年生)と又違いますね、世代論を語ると嫌われますが…、でも更新された佐伯さんのエントリーを読むと、ここにも「実存あふれた豊かな社会」の影があったんだと痛く、感じました。多分、今の時代にも、そのような「実存あふれた豊かな社会」は、どこかにあると思う。この地ではなくとも、
 参照:新しいヒューマニズム - 風の旅人 編集便り 〜放浪のすすめ〜*2

*1:勿論、この時代、セレブっていう言葉は流通していなかったけれどね、バブルが崩壊してからですよ。そのような言葉はなかったけれど、http://gogen-allguide.com/se/celeb.html

*2:そう言えば、日野啓三のコミュニティに入会している人に指摘されたのですが、ウィキペディア百科事典日野啓三の項目が入力されていないのです。誰か日野さんの履歴をきちんと書いて欲しいですね。こちらに、とても優れたプロフィール紹介がありますね、http://www1.odn.ne.jp/~cci32280/LibHino.htm