神の視点/鬼の視点

ドキュメンタリーは嘘をつく鏡の中にある如く [VHS]
 僕の方はn-291さん経由なんですが、こうやって、テレビで見るよりはPCの動画で見ると、随分、印象が違う。テレビよりは動画の方が同じ映像でも、見る側の僕が「堂々と自分の主観で見ていいんだ」と勝手に料理して構わないんだと、相手の啓蒙臭さを嗅がないですむ。
 解読のキーはオレが握っているんだと、もし作り手が神の視点で作っていても、こちら側に神の視点が移譲された感触がありますね。学校の教室から裁判所の傍聴席に椅子が移動した感じです。
 それがいいのか悪いのかわからない。少なくとも、どちら側に立っても「神の視点」という傲慢さから距離を置きたいと思うが、当事者としての問題を引き受けるには、僕の身体性を抜きにしては出来得ないと思うんですよね。本当に出来ることしか出来ない。そのことを踏まえて見ています。

メディアリテラシー特番
YouTube - 森達也ドキュメンタリーは嘘をつく』(1〜5)
http://www.youtube.com/watch?v=xhEwhbrmX2E
http://www.youtube.com/watch?v=nOa0x-lcSDQ
http://www.youtube.com/watch?v=bBaLKWH30yc
http://www.youtube.com/watch?v=wlMgG8aWl9Y
http://www.youtube.com/watch?v=rxDyslpbIjM
成城トランスカレッジ!(hatena)経由

 こうやって、色々な人がリンクを張って色々な目で見るんだろうね、それでいいんだと思う。でも、そのような力は予想を超えて強いものがあるんではないだろうか、恐るべし、動画ですね。
 昨日に引き続いてベルイマンの映画『鏡の中にある如く』を見ましたが、神がいるにしても「神の視点」という「神」ではないことだけは確かだと思う。内であると同時に外であるもの。神を愛するものでもなく、神によって愛されるものでもなく、愛そのものが「神」なのでしょう。最早、そこに「神」という言葉は必要ない。存在を感ずれば人は生きることが出来る。
参照:保坂和志http://web.soshisha.com/archives/world/2007_0125.php
 ★たしかに「ドキュメンタリーは嘘をつく」んですね - 双風亭日乗はてな出張所

「ドキュメンタリーは人」なのですから、良質のドキュメンタリーを見極めるためには、作った人を基準にして、その人を信用しつづけていくくらいしか、私たちにはできないんじゃないのかなあ、と思う今日この頃です。
番組名とか放送局とかでなく、「あのディレクターの番組、今日放送するらしいよ」というような、ディレクター単位の情報(いいディレクターには、いいカメラマンが付いてる場合が多いので、カメラマン単位というのもアリかもしれません)がもっと広く流れたりするような仕組みがあったら、いいのになあと思ったりします。

 確かにそうです。leleleさんのメルクマールが常識として稼働するためにはディレクター、監督、作家単位の棚陳列(頭の中でも)が必要ですよね、最近、レンタルビデオで困るのが、映画監督単位になっていないことです。テレビのDVDも増えましたが、プロデュサー、ディレクター、カメラマンのような「作家」(グループでもいい)のクレジットで探すことの出来る本屋さん、レンタル屋さんを大歓迎ですね。新聞社あたりの署名記事も増えましたが、方向性としてはいいと思う。「ドキュメンタリーの嘘」がそれでも、「マコト」となるためには、「人」の「刻印」があるわけですよ、それがおそらく「クオリア」なのでしょう。虚実を越えたものとして、クオリアがある。そんなことを最近、考えていますね。