テクノロジーからアナロジーへ
松岡正剛さんは千夜千冊『情報化爆弾』のポール・ヴィリリオで、《脳がアナロジーを担当すべきところを機械がテクノロジーで代替してしまったのだ。一言でいえば今日のIT社会の問題のすべてが、この「アナロジーからテクノロジーへ」ということに集約される。》と冒頭で書いているが、アナロジーは「詩」であり、茂木健一郎の「クオリア」でもあるんだろう。ポール・ヴィリリオはとても気になる思想家です。月曜社で新刊『民衆防衛とエコロジー闘争』が発売されますね。
そして、念のためyoutubeで検索したら、このような動画がありました。
★http://www.youtube.com/watch?v=UWYhajJW8fM
やっぱし、自転車のスピードが「アナロジー」でより遠くへ行ける。出来るだけ、歩くか自転車に乗りましょう。そうすれば、時としてドラエモンになれるかも…。っていうことかなぁ、
武田徹オンライン日記によれば、東大先端研ジャーナリストコースは今年で実質的におしまいなんですね、ご苦労様でした。
ジャーナリズムとは、ただのニュース報道ではなく、世界観、歴史観を語り、伝える仕事でもある、そんなことを教えてくれたように思う。だからこそ事実を断片化して固定しようとする、「いわゆる」ジャーナリズムから遠くあろうとしなければならない。思えばそれはコース設計にずっと反映させてきた考え方だし、『NHK問題』の最後にも書いたことだ。種が蒔かれた時には気付いていないのだが、実りが獲られて改めてそれを知ることがある。
武田さんのジャーナリズムも「アナロジー」に踏みとどまろうとする強い意志を感じる。果たして「速度の牢獄」からメディアは疾走出来得るのか、恐らく全然違った歩き方を工夫しなければならないのでしょう。この問題と「クオリア」、「ドラエモン」が僕の中で繋がって見える。
最近、茂木さんのクオリア日記からMP3を良く聞くのですが、講演でよく、『ダーウィンの種の起源』を読んだ人と聴講者に訊ねている。僕もマットウに読んでいないんだよね。本書のヴィリリオを読むための基本書なんだろうね。これもチェック!