「脳はなぜ心を記述できないか」のレポート

文脈病―ラカン・ベイトソン・マトゥラーナ生き延びるためのラカン (木星叢書)「ひきこもり」だった僕から
◆先日、leleleさんも参加した『斎藤環さんのセミナー』の報告がありましたが、上山和樹さんのブログで、詳細なレポートがアップ(講演レポ・一回目)されている。読み応えがあります。謝、謝!
 2007-03-16
 2007-03-17
 2007-03-18

ひきこもりの人は、想像的なレベルでは社会参加できていないけれども、象徴的なレベルでは社会に参加させられていると言えるかもしれない。 言い換えると、欲望は持たされているにもかかわらず、それを実現する手段を奪われてしまっているがために、「自分には欲望はない」と繰り返し自分に言い聞かせ続けているような主体。ー上山さんの講義レポート4よりー

 ラカン象徴界想像界現実界において特に想像界がわかりにくい、僕的には「情の世界」、象徴界は「言語の世界」ですね、現実界は「それぞれのリアリティ」で、「言葉」レベルで社会参加出来るけれど、「情」のレベルで社会参加できない、そういう人が「ひきこもり」なら、潜在的「ひきこもり」は多いでしょうね。そして「欠落した欲望」を再帰的に保持して、ぐるぐるになるのでしょうか。
 「現実界」のシャワーを浴びることでしか、出口はないと思う。と言ってもラカンの「現実界」もよくわからない。ラカンをちゃんと勉強していませんから。
 講義レポート3の「象徴界」、「想像界」、「現実界」と違うみたいですが、僕の勝手な独り言と思って下さい。
◆映画『ブレード・ランナー』のレプリカントは人間なんだ、「記憶」と「内省」があるから、成る程、そういう定義付けはスッキリする。「記憶」と「「内省」がなければ「人間」ではない。「○○の機械」なんだ。講演は難しそうな内容ですね、『文脈病』(青土社)と『生き延びるためのラカン』(バジリコ)の2冊をまず読んでおくべきなんでしょうね。『文脈病』は読んでいるはずなのに、あんまり「記憶」がない、再読?しなくては、『生き延びるためのラカン』は未読です。