手塚治虫/田村隆一

 トキワ荘物語一回目

三回目五回目六回目七回目八回目・二回目と四回目がアップされていないですね。

 ごんだまさんのコメントで知ったのですが、手塚治虫オンデマンドマガジンは試し読み出来るんですね、出版流通の新たな回路が、又、一つスタートしましたというわけか。
 アトムが広報のお喋りもやってくれている。
http://www.comicpark.net/tezuka/
 本当に、田村隆一のような詩人の音声データが残っていれば、マンガの画像アップのように詩人の朗読も面白いですね、

 四年前、ある公開審査の会場だった。二十代の聴衆を前に、審査などそっちのけ(?)で、田村さんは突然立ちあがり、こう語りだしたのだ。
 「みなさん。一本の樹の下には、数万トンの地下水が流れているのです」
 やさしい声だったが、会場は水を打ったように静まり返った。それはその場にいない人のもとにもひびきわたるような、すばらしい話だった。若い人たちははじめて詩人というものを目のあたりにしたはずである。ぼくもまた、そうだったかもしれない。
 見えるものと、見えないものへの同時的な視線。そこに立って、詩人は言葉への愛をつづった。
 ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
 ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう  (「帰途」)

 荒川洋治が『文芸時評という感想』(四月社)で田村隆一を悼んでいるのですが、本棚を見ると、汚れているけれど、昭和48年五月三十日の二版発行の『新年の手紙』(青土社)がありました。初版でなくて残念ですが、多分、すぐに再版されたものだと思いますよ。この頃、僕は自分で本を売っていったわけで、それでも初版が手に入らなかったわけでしょう。装幀は池田満寿夫ですね、この時代、「詩」が売れていたのです。『文芸時評という感想』で、小田嶋隆相田みつをは『便所の神様』」(1997年「諸君!」11月号掲載)をテキストに「相田みつを現象」のことを書いているが、小田嶋は《そんな詩はほうっておけ、というのが文学の世界に身を置く人たちの「常識」であろうが、小田嶋氏は敢えて相田みつをの「文学」を俎上に載せたのである。》確かに、小田嶋氏のような立ち位置での文芸批評が少なさ過ぎる。閉ざされたお行儀の良さって困りものです。大手文芸誌だけの問題でなく、武田徹さんが書いている読売新聞社の記者がタクシー運転手のお客さんを選択する振る舞いについて、正論ではなく、現在、タクシー業界での運転手の給料がどういう状況かと言った補助線を引くことがジャーナリストの仕事なのに、単に正論を吐くだけで、事足りとしている。まず、自分たちの社会的地位が全体の中でどのように位置づけられ、優遇されているかといった自己相対化を行った上で発言して欲しいものです。少し、脱線しましたが、そういうこと。
 『新年の手紙』は開きに新年の手紙と書いた封書が貼付されている。1200円です。

 詩を書く人は
 いつも宙に浮いている
 どこにいったいそんな浮力があるのか
 だれにも分からない

 この詩集に収められている「詩を書く人は」の冒頭です。