タコ師(手配師)から「人材バンク」

 『萱野稔人、「流動する労働力」と「新権力の構図」』で、人材派遣会社について突っ込んだことを書いていますね、人材派遣会社を経営している知人もいるし、そこで社員とし働いている人もいるし、実体はフリータなのに、「協力社員」という名前で日払いで働いている人もいる。
 1986年の労働者派遣事業法施行後と、施行前との時給のアップダウン、正社員の増減、労災の件数とか、労働環境がどのように変わったのか、そんなデータはないのですかね。
 それ以前の大昔、会社から直接雇われたアルバイトの場合は、意外と働きやすい労働環境があったと思う。勿論マクロ経済的に右肩上がりの時代状況だったから、一概に「あの頃は、フリーターもハッピーだったよ」と言えないけれど、流動性という面ではデータはないけれど、体感として「フリーターから正社員」、「正社員からフリーター」と簡単に行ったり来たり出来たと思う。まあ、僕自身がそうでしたから、我が儘だったのです。
 しかし、最近知人からメールが来たのですが、息子が本屋でアルバイトをするという。大きな本屋さんなのですが、何と、筆記試験があったらしい。驚きです。多分、この本屋さんは人材派遣会社を経由しないで、直接アルバイトを採用する方式をとっているのですね。とてもいいことだと思う。
 本屋さんや、出版社は多分、直接採用しているのが多いのでしょうね。でも、取次、アマゾンなどの倉庫業務、印刷会社、製本会社は殆ど、人材派遣会社経由でしょう。出版流通システムの中にこの二十年で人材派遣会社が構造としてぴたりとハマリ込んでいる。
 他の業界も同じ事情なのだと思う。本来単純作業の労働派遣は原則認められていなかったのでしょう。実際はありましたけれどね、「タコ師」、「手配師」と言われた裏稼業でした。このあたりの事情は下で呉を舞台にした『嵐を呼ぶ十八人』(吉田喜重監督・1963年)に詳しいですね。
 実際、この時代、僕は小学生だったのですが、仕事にあぶれた日払いで働いている沖仲仕の「あんちゃん」たちと、呉港が一望出来る中学校の校庭で一緒に草野球をしましたね、学校の校庭は、みんなに開放されていたのです。この映画にもそれに似たシーンがあって懐かしかったですが、この映画の映像は暗過ぎる。僕の記憶では懐が寂しくても奇妙に明るかったですね。僕は暗い少年だったですが(笑)、あんちゃんたちは明るかった。底抜けの明るさがあったという鮮明な記憶なのです。
 それは、ひょっとして瀬戸内の海と空の明るさが記憶に深く入力されているということがあるかも知れない。
 そして、とうとう、表舞台に登場した労働者派遣事業法の功罪を専門家に検証して欲しいですね。どうも、今、天下り問題で「人材バンク」というシステムが現実味を帯びてきましたが、実際、どうなるのだろうか、
 参照:http://www.asahi.com/politics/update/0424/TKY200704240350.html