駅前で一万円札を拾いました

月刊オルタ五月号

オンライン書店ビーケーワン:生きさせろ!Tsotsi
 昨日、電車の行き帰りに雨宮処凛著『生きさせろ!』*1を読みながら、ここに登場するY電機とか、半導体クリーンルームとか、他人事ではない、身近に耳に入る職場のことが事例として沢山アップされているので、身につまされてしまった。結局、派遣会社も下請け業者も手を汚して生き馬の目を抜くことをやらされる。そうでないと、つぶされてしまうのです。倒産してしまう。大企業(ここで言う大企業とは、仮に倒産といううことになっても公的資金導入などで、親方日の丸で守られているということです。役所と同じですね)・役所のようにがっちりと保護されているところだけが何とか憲法で保障されている労働環境が維持されているのではないか、それ以外の正社員もフリーターも事情は似たり寄ったりで、必死に生きている。五十歩百歩だと思いました。
 昼間、シネ・リーブル梅田で見た南アフリカ映画『ツォツィ』アパルトヘイト廃止から十年、差別撤廃を勝ち取ったはずであるが、経済格差が拡大している今の南アフリカツォツィ(不良と呼ばれる少年)を主人公として、凄まじい「現代の貧困」を描いたものです。
 窃盗や殺人、カージャック、怒りと憎しみだけでその日暮らしの名もないツォツィは、ある日、奪った車の中にいた赤ん坊と出会う。赤ん坊が希望と再生、救済の導き手なのか、ヨハネスブルクの映像も歌も素晴らしく、思わず身を乗り出しました。この映画でツォツィの仲間の一人が盛んに「Decency」についてしゃべくるのですが、次第にツォツィは赤ん坊と触れ合う過程で「decency」(品位)を身につけてゆくとも読めるわけです。この映画では赤ん坊の存在感が見事に映像化されている。
 駅前のロータリーで、少し風が強かったのか、僕の足下に一万円札が飛んできました。思わず、拾って周りを見渡すと、お爺さんがバス乗り場にいそいそと向かっている、反射的に声かけして、「お父さん、一万円札を落とさなかった?」って手に持った裸の一万円札を差し出したら、左のポケットに手を入れて「あ!さっき、切符を出そうと取り出したとき、落としたのか」、「おおきに」ってことになったのですが、電車に乗ってつらつら考えるに裸の一万円札なのです。お父さんのものである蓋然性は高いけれど、ひょっとしてそうでもないかもしれないかなぁと、後付で疑念を持ったのですが、これが誰もいない真夜中の駅前ロータリーだったら、僕は又違った行動を取ったかもしれないですね。(笑)
 とにかく、初夏と言ってもいい気持ちのいいお天道様の下では、僕は品位ある振る舞いを自然とやってしまったわけです。でも、お父さんが落とした瞬間を見たわけではないんだから、ちょっぴり気になりました。本当に憲法で保障されて生きる権利がちゃんと名実とも与えられていれば、Decency(品位)を失わない振る舞いが出来るでしょう。「犯罪」か「自殺」か「ホームレス」の三択しかないソーシャルマトリックスが格差拡大で進行していったら、そのような犠牲の上で成り立っている豊かさは砂上の楼閣ではないでしょうか。
粥川準二さんが、雨宮さんの『生きさせろ!』をマンガ喫茶/ネットカフェに置いたらいいなぁ…と、僕の発案みたいに書いてくれていますが、そもそも、この案はleleleさんからの発信*2なのです。マンガ喫茶だけでなく、TSUTAYAがコミックレンタルを始めたでしょう。コミックとして置けないかなぁ。粥川さんが文庫化のことを書いていましたが、太田出版は文庫がないので、実現するにしても時間がかかるでしょう。コミック化がいいと思いますよ、花沢健吾さんのカバーイラストはインパクトが強くて店頭でも目立ち、捜す手間が省ける優れものですが、確かに粥川さんが言うように「女の子」がいませんね、三人とも男の子。雨宮処凛原作で、女の子を主人公にしたナウシカのような(っと言っても戦闘少女となると、コミック事情に疎い僕はナウシカしか思い浮かばないのですが…)コミック版『生きさせろ!』が出版されればいいですね、たった今、思いついたことだけど、これならば、マンガ喫茶に置くだろうし、TSUTAYAもレンタルするでしょう。読んで欲しい人にメッセージが届きやすくなる。コミック化されれば、様々な国で読まれる可能性も高くなる。
粥川さんの目覚めのブログを読んで、こんなことをふと思いつきました。関係者に検討して欲しいと思います。
★「現代の貧困」の問題に真摯に取り上げている雑誌が発刊されました。これらの問題はスルーしたいんだけど、スルーすれば、益々貧困は深爪してしまう。赤木智弘さんの言うように戦争が処方箋になるような言説が説得力を持たないような手当を早急に実施しなければならないのでしょうね。

月刊オルタ2007年5月号(5/14発行)
<特集>日本の貧困―世界の貧困
日本社会でも「格差」や「貧困」がアジェンダ(検討課題)として確立され、百家争鳴状態ともいうべき「格差」「下流」バブルが吹き荒れるなか、格差を必要悪として肯定したり、途上国の「絶対的貧困」を引き合いに日本の貧困を否認したりする議論も少なくない。しかし、貧困とは所得のみに還元される問題なのか。「世界」と「日本」の貧困は切り離して事足りる問題か。特集では、グローバリゼーションの下での世界の貧困と日本の貧困の相補的なつながりと隔たり、そして現下の世界―社会状況について考えながら、新たな貧困/格差社会論へ踏み出す一歩としたい。
詳細・購入
http://www.parc-jp.org/main/a_alta/alta/2007/05/cover
◆むずかしい、貧困 谷川 茂(双風舎代表)
◆それでもなお援助を? 中山智香子東京外国語大学教員)
◆貧困と不平等をどう捉えるか 池本幸生(東京大学東洋文化研究所
◆「世界化」のなかの野宿者問題 生田武志(野宿者問題ネットワーク)
◆「持たざる者」のアジア連帯に向けて なすび(山谷労働者福祉会館)
◆フランス―平等性議論の陥没点 陣野俊史(文学・音楽批評家)
◆「帝国主義」、または「日本プロレタリアート」、その現在 入江公康(社会 学者)
◇特別ロング対談
雨宮処凛(作家)×赤木智弘(フリーター・ライター 『論座』など)
連載
◇もうひとつの世界はいつでもとっくに可能だ4 イルコモンズ「高円寺一揆http://illcomm.exblog.jp/5240744/
◇グラビア「here&there 5」
Deep Havana 写真/中藤毅彦
◇哲学はわからないものだから心配するな5
岡 真理(京都大学教員)「当事者とは何か」
◇数字は語る5
国際養子縁組
◇オルタの本棚
星川淳『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』
評者:佐久間智子(本誌編集委員
◇ドキュメンタリーの散歩道5
藤岡朝子山形国際ドキュメンタリー映画祭コーディネーター) ほか
発行:アジア太平洋資料センター(PARC)定価:600円+税(送料別)

 DECENCYのある生き方は生存競争じゃあない生存を認めさせることのよって始めて成り立つ。南アフリカでもインドでも中国でもフランスでも日本でも、どこの国でも同じでしょう。
 ツォツィヨハネスブルグの少年ではなく、明日の北京の、東京の、ムンバイの少年でもあるわけです。現代の貧困はグローバル化しているとの認識から出発すべきで、「自己責任論」のような既得権を手放さないで説教だけ垂れるオヤジ達の二枚舌には気をつけて、せめて「働けば自由になれる」と言った「いかにもかな」のメッセージボードのゲートをくぐってアウシュビッツへの一歩をすすめた60年以上前の教訓を思い出して欲しい。歴史教育とはそういうことを学習するのです。と、僕は思います。
 参照:http://a.sanpal.co.jp/paff/union/
深夜のシマネコさんの「月刊オルタで、雨宮処凛さんと対談 」

*1:雨宮処凛(著) すごい生き方 公式ページ

*2:でも、そういう人たちの手に、本というモノ自体が届きにくいという問題があります。本の存在を知らなかったり、知っていても買うお金がなかったり。大金持ちでこの問題に関心のある人が、大量にこの本を買って、飯場マンガ喫茶でばらまいたりしたらいいのかもしれませんが(これが本来の意味でのボランティアだと私は思います)、そんな可能性は低いですよね。そうなると、そこまでは生存がおびやかされていないが、その予備軍となりそうな不安を抱える人で、本を買えるような層の人たちが同書を買い、読み、声をあげる。そして、すでに生存をおびやかされている人たちの声をすくいあげたり、仲間として共闘したりするのが現実的なんでしょう