恥ずかしいなぁ…公やんか、

 ★東浩紀さんの『文化庁レベル低すぎ』
参照:文化庁より娘のレベルが高かった件について - ニート☆ポップ教NEO
 ★かぜたびさんの『既存メディアに寄りかからないコミュニケーション』
 ★leleleさんの『自費出版と自己責任』
 ★石猿日記の新風舎訴訟がはじまった
 これらの記事を読んでいると、この国の言論状況の身も蓋もなく「カネ」と「力」と「権威」に弱く、だらしなさに唖然とします。自尊心もない下品さをとやかく言う積もりはない、言ってしまうと、ブーメランのように僕自身を揺さぶって、「アンタはお上品だんもんね」ってイヤミをカマされるかもしれないもんね。
 でも、理屈ではなく、恥ずかしいっていう感性まで放棄して欲しくないですね。「後ろめたさ」があれば、許したい気持ちですが、どうやらその「後ろめたさ」が希薄のような気がしますね。
 大出版社、大新聞社、大新聞に大々的に特集で紹介されたから、信用していい出版社だとか、大広告会社が製作したCMとか、テレビに登場したから、信用出来る会社、人とか、短絡的に信じるのではなく、ちょっと立ち止まって考える癖をつけて欲しいですね。それがリテラシーでしょう。教育でまず教えるべきことは、「疑え」でしょう。徹底して疑う果てに信じるがみえてくる。
 ★マスメディアのやるべき仕事は武田徹日記で書いているような『しょうがない』ような問題を地道に掘削する作業だと思う。自明なものを疑う、タブーを検証する、そのような積み重ねの記事からジャーナリストの誇り、編集者の誇りが生まれるのでしょう。
 参照:http://runday.exblog.jp/6428482/
    http://runday.exblog.jp/6429829
 ジャーナリスト、編集者、言論人は、誇りを失って欲しくないですね。誇りを持って言葉を刻むから、あなた方の言葉を信じることが出来る。アマチャのブロガーの一員として、「官」でもなく「私」でもなく「公」という場で、あなた方と交歓したいわけです。「官」が発するからと言っって「公」であるとはかぎらない、高名な人、マスメディアの言葉だからと言って「公」であるとは限らない、常に批判の研磨にかけられて、それでも残るものが「公」でしょう。「公空間」がもっとも生まれやすい場所と信じるから、「ネット」の未来を信じるわけですよ。マスメディアはそれ以上に「公」であることに意識的であって欲しい。「私企業」であるからこそ、それが可能だという誇りですよ。メディアは「公」と無縁ではない。「官」と「私」には無縁であるかもしれないけれど…。「官」でもなく「私」でもない言葉をメディアは持って欲しい。
 勿論、既得権益を守ることが「公」の仕事ではないのは当然です。
 ★http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20070627/128484/?P=1