死者を見下ろす出征の幟/レディ・メイド

 『論座・8月号』の特集は「天皇表現とタブー」、「図書館が日本を救う?!」とそそられる記事ですが、まずは、保坂和志さんの「本棚拝見」の画像を拝見すると、小島信夫の『寓話』、『菅野満子の手紙』は予想通りですが、ミシェル・レリス、『アフリカの印象』のレーモン・ルーセル、ピエール・クロソフスキーの『ディアーナの水浴』、『わが隣人サド』、『ニーチェと悪循環』、『チェパーエフと空虚』、『ゴダール全評論・全発言』、『ヨーゼフ・ロート小説集』、カフカカポーティ青木淳悟岡田利規柴崎友香ガルシア・マルケスハイデッガーベケットの『モロイ』とか、面白い!でも、この本棚をそっくり真似てリアル書店で陳列しようと思っても、大体、60点ぐらいですが、もはや、手に入らないものもあるけれど、新装版も受け入れれば、50点以上は揃いますね、そして、この画像をPOPにして論座の「本棚拝見コーナ」を設けるのも楽しいと思うよ、
 ところで、特集記事ではないけれど、清水眞砂子さんが書いた「『丸山眞男』をひっぱたきたい」への体験的応答として、『「平和を生きのびる」ために』という記事を読んで亡くなったオヤジのことを思い出しましたね、オヤジは過去ログに書いたように、20代、30代、兵隊として応召されて、十年以上も戦場にいたわけですよ。オヤジの遺品を整理していると、戦友たちの写真にしろ、軍から支給された備品、小物?、勲章、従軍手帳まで、大事に保管されていた。
 本音のところ、オヤジにとって戦争というより戦場ですか、そこにどのような強い思いがあったんだろうかと、僕の想像の届かないところがあるわけですよ。清水さんのエッセイの後半部分「死者を見下ろす出征の幟」で、清水さんは赤木論文と繋げたのですが、僕はオヤジのことを思い出しました。

 彼が「何も持っていない自分にとって戦争は悲惨ではなくむしろチャンス」と語るのを読んだ時、私は10年ほど前に亡くなった近所のおじさんの通夜の枕もとを思い出した。貧農の次男か三男に生まれたそのおじさんは、働きづめに働いて戦後小さな鋳物工場を持った。“吹き”のある時は金属の粉に混ざった煙が煙突から吐き出されて、まわりの家は洗濯物も干せなくなる。それでも私たち近所の者は、優しく、分けへだてのないおじさんとその家族が好きで、文句を言う人は誰もいなかった。おじさんには私も、型をはずすところを見せてもらったことがある。ある時おばさんは立ち話の折に「うちのお父さんなんか二度も兵隊にとられて苦労したの」と話してくれた。
 おじさんはそれから1年もたたないうちに亡くなった。お通夜に出向いた私がおじさんの枕もとに見たのは、出征の幟だった。幟は古ぼけてあちこすりきれていたが、堂々と死者を見下ろしていた。なぜ、これが?私はおばさんに聞いた話との落差にとまどいを覚えた。幟はもちろん家族が立てたものだったろう。けれど、それは生前の死者の思いを受けとめてのことだったはずだ。
 あの夜からずっと、私はこの幟の意味を事あるごとに考え続けてきた。巷に生きて、人に振り返られることもなく暮らしてきたおじさんにとって、幟を背に立った日こそ、人生最大の晴れの日だったのではないか。お国の役に立てる。それは他人に誇れる何も持たず、社会的名誉とまったく無縁にきたおじさんにとって、そしてまた家族にとっても、誇りを覚えることのできた唯一の時だったのではないか。私はおじさんの幟を、おじさんの通夜の枕辺にその幟を立てた家族を、けっして嘲笑うまい、と自分に言い聞かせてきた。
 そして、赤木氏の文章に出合った。私にはおじさんと赤木氏が、赤木氏個人というより赤木氏があの文章に書いた人々が、どこかでつながっているように見える。
 あの幟はおじさんに「『丸山真男』をひっぱた」く機会をほんの一時であれ、くれたのではなかったか。
 それでも赤木氏は「私を戦争に向かわせないでほしい」と言う。このまっとうなことばを前して、私たちは本当に何をしたらいいのだろう。(p215)

 平和時において、自尊心がズタズタにされても生き抜く強さは、やはり、もう一つの「自尊心」を幻想であれ、何であれ、仮構するしかないのでしょうか。手っ取り早く、「カネ」が、「権力」が代替物になったり、「ナショナリズム」、「宗教」、「家族」、「性愛」…、でもそのような手垢に汚れたツール以上のようなものが「幟」にあったのではないか、茂木健一郎さんの『デュシャンの「レディ・メイド」』を拝借すれば、おじさんにとって、「レディメード」は「幟」だったんでしょう。オヤジにとって「レディ・メイド」は、これらの戦場にまつわる遺品のどれかだったかは、間違いない。でも、どれだったかは、わからない。