「文化はいくら?」

kuriyamakouji2007-07-09

新聞社―破綻したビジネスモデル (新潮新書)新聞の時代錯誤―朽ちる第四権力ネット時代 10年後、新聞とテレビはこうなる
 「新聞にたった一日掲載されるだけで数千万円か」、このことは、過日(5/25)、マル激トークの河内孝氏(元毎日新聞社常務取締役)『新聞ビジネスはすでに破綻している』を視聴した強烈な余韻があるので、そんなもんだろうなぁとナイーブにびっくりはしなかったのですが、僕のように新聞メディアを先日書いたように自費出版大手の『自己表現ビジネス・モデル』の文脈に置けば、文化装置の胡散臭さの舞台裏が改めて腐臭を放つ。
 丸激トークで河内さんも言っていたが、各新聞社の広告掲載料の値段が、実際の刷り部数とリンクしているかと言えば、そうではなく、様々な要素が加わる、そのようなブラックボックスは数量化出来るものではなく、多分、かぜたびさんが書いているようなブランド力であろうけれど、単なる広告料なら、市場原理で、数億円になろうが、ビジネスとして問題がない。
 問題は、『文化を伝える』と言う、たった一日の記事に、数千万円が要求されたという、なかなか理解しがたい経緯なのです。
 恐らく、こういう流れは従来なら冠の協賛企業がついて、新聞社はモロに営業をしなくても良かったのでしょうが、最早、そんな時代状況ではなく、「隠された美しいもの」が身も蓋もなく露呈したのでしょう。
 そう言えば、訴訟沙汰になってしまったこちらの自費出版大手「新風舎」の特集記事を大々的に報道していましたね、新聞記事を確認したら去年の10月7日で、『熱風書房』でもらったのです。店内に沢山ありましたね。成る程、うまい販促だと感心したのでした。
 それから、昨日、書いた「ポスドクの就職問題」にもつながるのですが、大新聞社の元論説委員の肩書きで大学の職を得るとか、ネット時代といいながら、大新聞社のブランド力によって、そんな流れがあったみたいですが、今はどうなんでしょうか、

5年前の時は、数ヶ月前から、その新聞社がシンポジウムの開催と新聞での紹介を約束していたが、その経費を誰が負担するかという話しにはなっていなかった。
 しかし、新聞社が”文化”の紹介を引き受けてくれると言えば、一般の人は、新聞社側の志によって、無償でそれを行ってくれるものと思う。だから、発掘チームも安心していた。
 にもかかわらず、一ヶ月ほど前になって、新聞社側から、「シンポジウムのスポンサーが見つからないので、スポンサーを見つけてきなさい、スポンサーが見つからなければ、シンポジウムは行わない。もしくは、その金額を負担して欲しい」と言ってきたのだった。
 そして、今回は、最初からお金を要求してきた。
 私が想像するに、昔は、こうしたシンポジウムを新聞社の冠で行う時は、新聞社が”文化”を口実に様々な企業に協賛させて、イベントの運営費をまかなうとともに、自分たちの利益も十分に稼ぎ出せていたのだろう。もしかしたら、5年前も、そういうつもりだったのかもしれない。だから、最初はシンポジウムの開催を快く引き受けた。でも、不況だったので、スポンサーが集まらなかった。そうした状況で、新聞社は自分たちがお金を持ち出してまでシンポジウムを行う意志はなかったのだ。

 かぜたびさんが、ここまで書いてしまうやるせなさに、思わず応援したくなります。

そうした構造を変えるのは、おそらくインターネットだと思う。
 アンコールワットの仏像大発見も、安易に新聞での紹介に期待するのではなく、といって「風の旅人」で紹介すればいいということでもなく、見応えのあるホームページを制作し、ブログをはじめとする様々な口コミネットワークで、多くの人に、きっちりとした内容を伝えられるようにすればいいと思う。

 無数にいるブロガーの一人として、僕が出来る一歩を記してみました。