陸沈の人

 参照:「現代日本教養論」(稲葉振一郎山形浩生http://www.toyokeizai.net/online/magazine/story02/backnumber.php?kiji_no=8
n-291さんのブログからですが、確かに大澤真幸ナショナリズムの由来』と『埴谷雄高全集 3 死霊』は、どちらが殺傷能力が高いのかなぁ、まず、重さが肝心ですね、図書館で見つけたら、借りてきて測定します。)
 ■ミクシィの「赤木智弘コミュニティ」で、結構、盛り上がったやりとりをしているのですが、意外と盲点であったと思ったのは、『論座 8月号』の読者の広場の投稿欄でした。ここで73歳の方(実名で書いているのですが、ここでは明かしません、雑誌で当たって下さい。)は、とてもまっとうなことを書いている。
 どうしてプロの論壇人がアマチャの投稿者に『「応答者」は出直してほしい』と言われてしまったのか、そのことを検証したくて、ここに全文、引用します。

 憲法特集を読みたくて、ひさしぶりに買ってきた6月号、読み終わって一番気になったのが赤木智弘さんの文章でした。気になりついでに図書館に出かけて1月号のもともとの文章、4月号の「応答」を読んでみました。やや乱暴かもしれませんが、私の一番の感想は「応答者は出直してほしいな」ということです。そもそも最低限の読解力のない人が混じっている、そんな感じがして、いささか腹立たしささえ感じたのです。
 赤木さんは自分で書いていないけれども、「フリーター」といわれる新たな階層だか階級をあきらかに代弁してあの文章を書いているように私には読めました。その人たちがほとんど構造的といっていい力によって押し流されるように抱かざるを得ないような心的傾向に対し、自身「左翼的傾き」を自覚する赤木さんがそれへの対抗論理、あるいはせめてもの歯止めの論理、望みうるなら左翼の側にとりこむ運動論みたいなものを探しあぐねているように私には感じられるのです。ほとんど「SOS」ではないか、とさえ思いました。
 したがって、「応答者」が赤木さんを論破したり、あるいはそのつもりになったりしただけでは何にもならないはずなのに、そういった自覚がまるで見当たらない、これはいったいどうしたことなんだろう、これだけそれなりのメンバーが揃い踏みしているのに……と、暗然としていることを伝えたいのです。
 「けっきょく、『自己責任』ですか」のタイトル、つらくて悲しいですよ。「応答者」のみなさん、もう一度顔でも洗って出直してくれませんか。それとも私の読み方がまちがっているんでしょうか? 

 市井の逞しい常識人が、ここにいらっしゃると、嬉しくなりました。論客とは記者クラブに巣くうものでもなく、論壇にアンテナを張り巡らす「知のスキル」に優れた人でもなく、陸沈の無名人に、その人は、ひっそりと隠れていると、意を強くしました。
 ◆まあ、「ポスドク問題」も色々あるし、特に文系の人たちの、その又、人文系、文学系は、どのような社会の受け入れ体制になっているのか、そして、実態はどうなのか、過日、金子勝のエル大阪の講演で、質疑応答のおり、文系のポスドク?の方が手を挙げて、非正規雇用者たちのワーキングプアの問題は、最高の高等教育を受けた我々にもあるのだと、叫んでいましたが、「sivadさんのポスドク問題は博士のビジネス参入を阻害する」 を読むと、赤木さんが突きつけた問題と、特に文系のポスドクの方たちと問題を共有する場があってもいいいですね。少なくともポスドクの方たちは攻撃の方向指示器を赤木さんの方に向けるべきではない。
 それどころではない、自分たちも必死で「SOS」を発しているのだ。言論の場で何とか処世しなくてはならないのだ。そういう本音を吐露したところから、喋ってくれれば、まだしもですけれどね。
 参照:http://d.hatena.ne.jp/border68/20070708