「つまらなそうにしてない書店員」がたくさんいた書店


 社会人となった頃、出版社の営業をやったというマイミクさんが、昼間はよく別の会社にいった人たちと飲み食いをしたものだ。 それなのに、バブルが始まる頃から、そんな時間もなくなって、今はずっと忙しい。なんで日本の社会はこんなことになったのかな…。 と嘆いているのを読むと非正規、正規雇用に限らず、労働環境の劣化を働くということに降りたって徹底的に検証する必要があるのでしょう。
 上山和樹さんが、ひきこもり支援のサービス契約で、「一生働かずにいられるような環境を整えてくれ」という要望」という契約があり得るだろうかと書いているが、あり得るということまで含んだ「働かないことで、働く」と言った地点で立ち止まって考えることが必要かもしれない。
『STUDIOVOICE・8月号』の巻頭対談、田中康夫×宮台真司の頁で、宮台さんはこんなことを喋っている。

 […]フランスの移民暴動に象徴される「外国人が非正規雇用者の仕事を奪う」という議論は時代遅れで、国内で外国人に安い労賃で作らせるのではなく、中国やインドにアウトソーシングするのがグローバライゼーションです。先進各国が国際競走を生き残って外貨を稼ぐには、中国やインドの労働者とバッティングする仕事をする国内労働者は非正規雇用化されるしかない。『スタジオ・ボイス』を読む若い人も将来は大半が非正規雇用になり、低賃金化します。小手先の国内政策で回避できません。先進各国はどこもそうです。だから反グローバライゼーションはありえません。かといってグローバライゼーションに無防備に乗れば、国内の労働分配率が下がり、内需で回る産業が壊滅し、地域社会が滅びる。結局、(1)外需で回して外貨を稼ぐトヨタソニーなどの企業、(2)M&Aを含めた合理化によって外需で回せるよう努力すべき企業、(3)地域社会を保全すべく内需で回せるように行政的に保護されるべき企業。この三つを分けて最適バランス化するしかありません。
 小泉的なものとはアメリカ的グローバライゼーションに対する無防備さです。この無防備さは欧州どころかアジアを含めてありえません。小泉一人の個性の問題じゃなく日本人全体の馬鹿さです。グローバライゼーションに抗うには、ネオリベを否定するコーポラティズム(談合主義)が必要です。でもムラ社会に支えられた不透明な権威主義的談合主義じゃアメリカから不公正だと攻撃される。チェックに開かれた市民主義的談合主義にシフトする必要があります。(後略)

 下で書いた「上は市場原理、下は談合」の連立方程式をフックするものとして、権威主義的ではない市民的談合主義があるような気がしますが、「談合」という言葉に違和がありますね、「共生」と言った触感が欲しい。
 確かにバブル前の本屋で働いて頃は、版元の営業さんがくるでしょう。すぐに、喫茶店に行ってしまう。 本の話はするけれど、あくまで読書談義で、よもや話。中には版元さん、常連のお客さんと、一緒に書店員が近くの雀荘で遊んでいたこともありました。この豪の者(書店員)は、今では人材派遣会社を経営しているw。彼は本屋で楽しく遊んでいましたね。
 出勤するでしょう。(僕ではない、彼、よく遅刻しましたが) 、まず、本来の仕事ではないのに、彼は今でも、有名な書評家、書誌家のK氏に電話して新刊情報の提供をしていました。 一時間は超えるぐらいの長電話。
 お客さんとの交流は色々ありましたね。 近くの本好きの商家の旦那が毎日来て新刊をチェック、月に百万円近く購入したくれましたね。商売は洋酒販売なので、あくまで商売と関係ない純文学、翻訳文学がメインでしたね。 それで、年間一千万円以上、読むこと、学ぶことが、旦那の道楽だったのです。そのような書痴のお客さんたちとダベルわけですよ。
 もう、その店はないけれど、本当に、楽しい職場でした。開店当初、230坪あって、社員の数も20人位でしたかね、いまじゃあ、この位の坪数ならば、社員は店長一人と店長代理、もう一人ぐらいで、あとは、契約社員、アルバイトの非正規従業員でしょう。全く、余裕がない、お客さんとの出会いもない、。
 版元さんとだけではなく、お客さんとも「お茶」していましたからね、こちらのサイトで紀伊国屋 南店のことを書いていますが、今の書店員は余裕がないのですよと言いたいですね。
 さすが、書店員には外国の人が少ないですが、取次、印刷、製本会社では、中国人、イラン人、バングラデシュ等、様々な国の人がいますよ。有名書店のアルバイトは筆記試験までありますからね、日本語の読み書きが出来ないと難しい。でも取次の仕分け業務、製本作業、印刷の補助は日本語が出来なくてもOKでしょう。英語国でないことが、グローバラゼーションのバリアになっているところもありますね。
 当時はそんなに社員がいても、アルバイトも沢山採用していたから、 何か時間がありましたね。給料が安くても、のんびりしていました。 でも、バブル期突入したら、がらりと変わって行く。
 僕が辞めてから、時々、この店を訪問してしたのですが、最初の頃は店長や、従業員と馬鹿話するために、 「お茶」していたわけですが、段々と時間管理が厳しくなってきましたね。昼の休憩時間に「お茶」するのはいいけれど、それ以外の時間帯にお茶するわけにはいかない、版元の営業さんも、店内で仕事ですよ。
 そんな風に厳しくなったけれど、店自体は歩道橋前のショッピングセンタービルの二階から六階へ移動して縮小されたり、結局、90年代に消えてしまいました。見事に時代と伴走していましたね(笑)。
 [知ったかぶり週報さん]が書いている、「つまらなそうにしてない書店員」がたくさんいる書店ってどこだ?あるのかそんなの?かって、横浜にありました。