このやっかいなもの、

 「<権利>と国家と資本主義」萱野稔人『交差する領域 15回』が更新されましたね、
 ◆〈権利〉の体系のもとには「権利」のイメージに背反するような暴力の運動があるのも、これと同じことなのだ……?
 なるほどね、「暴力反対!」で暴力がなくなるわけではない、いや、「平和維持のために戦争が起こる」
 生田武志が『フリーターズ・フリー 1号』で論考している、

 そして、ひきこもりとはある意味で従来の労働のインセンティヴが自明性を失い、「何のために働くのか」という問いを生か死かのギリギリの地点で問うものだった。「国家・資本・家族」という「内的因果関係に立つ三極構造」と「私」との関係が、いま問い直されつつある。(p256)

 この問題とつながっている。
 参照:id:kwktさんの萱野稔人×北田暁大トークイベントのレポートです。とても簡にして要、ありがとうございました。