ライトノベルって?

All You Need Is Kill (スーパーダッシュ文庫)

All You Need Is Kill (スーパーダッシュ文庫)

 僕が本屋にいた頃は「ライトノベル」というジャンルはなかった。いまだによくわからないのです。従来のジャンルに回収されないから、こういうノベルが生まれたのでしょうが、ライトが、「軽く」エンターティメントするという意味なのか、「萌え」が輝く「光」なのか、「右翼」の小説なのか、それすらはっきりしない。 
 多分、樫村愛子の『ネオリベラリズム精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか 』(光文社新書 314)に接続する問いに繋がると思うのですが、『群像 7月号』(2007年)の「キャラクター小説とポストモダン」(東浩紀×筒井康隆)のやりとりで、こんなのがありました。

東 […]/文学というのは、本当は世代というより、人々の信念とか生活環境とか思想みたいなもので読者が分かれるものだと思うんです。それが、消費の速度が速いということもあるんだけど、どうもすべて世代論になっちゃう。これは自戒を込めて思うんですけど、そもそも日本では、世代論にしないとうまく議論を立てられないような条件がある。これは、作家にとっても批評家にとってもよくない条件だなあ、と思います。
筒井 そうですね。昔は若い人ばかりが読んでいる小説があっても、書いている作家本人は年とっていたりね。そういうことがあったけれども、今は書いている人も読んでいる人も、年代がね。
東 そうなんですよね。ライトノベルも、結局は同時代作家が同時代読者に向けた青春小説みたいな感じで理解されています。ここでひとつ、筒井先生がライトノベルをお書きになると、みんな驚くかもしれません(笑)。

 ライトノベルっていまだによくわからないのです。「意味より強度」の小説、と自分で言ってもよくわからない、筒井さんが書いてくれると、そうか、こういうのがライトノベルかと、ぼんやりと像が浮かぶかもしれない。対談で、お二人が涼宮ハルヒの『涼宮ハルヒの消失』、桜坂洋の『All You Need Is Kill』を一押しであげていましたが、どんなノベルなんでしょうね、桜坂さんのこのライトノベルは「まるでハイデガーの哲学をすら思わせる」と筒井さんは、おっしゃる。「文学性どころの騒ぎでじゃない。たいへんな哲学小説でもあると言えるし、たいていのゲーム的リアリズムの小説にも言えることです。」
 読んで体験するしかないですね。でも、画像を見ると、躊躇するんですよね、筒井さんは僕より年上か、挑戦してみるか。