どこに、希望・夢があるのか(新マネー潮流)。

 ◆正月早々からいい話が少ないですね、新風舎民事再生申請か、id:n-291さんが、データを集めてくれている。助かります。
参照:http://sofusha.moe-nifty.com/blog/2008/01/post_28f6.html
 去年、僕の友人が共同出版社の一つB社から「出版しないか」と言う話があり、彼から原稿コピーと、B社の担当編集者の懇切丁寧な逐条的な批評と、彼の小説をこのまま埋もれさせるのは欲しいとのそそるコメントを書いた手紙を拝見したのですが、それにも関わらず、僕は友人に冷たくシリアスに、そんなに版元が出版したいと言うなら版元もリスクを負うと言う契約でないと、安易にこの話には乗らないようにとレスしたのですが、彼にとっては、僕のレスは腹立たしかったかもしれない。小説でデビューしたいのなら、地道に文芸誌に応募するしかない。あたりまえのことを書いたのですが、カチンときたのかも知れない。毎年、年賀状が来ていたのに今年は彼から賀状が来ていなかった。しょうがないかぁ。
 表現者は一にも二にも褒めてもらいたがる。作品そのものは面白いし、レベルの高いものだとは思う。ただ、既視感がある。彼でなくても誰かが書いたであろうし、読み終わってもその骨格を再現できる。説明できる。
 昨日、朝日新聞の書評欄(「たいせつな本」)で、保坂和志小島信夫の『寓話』を紹介していましたね。
この小説との出会って、はじめて本気に小説にとっての「リアル」「リアリティ」ということを考えるようになったと言う。

原稿用紙にして1100枚、単行本で560ページのこの本を、遅読の私が異例にも2日かからずに読んだ。しかし読み終わると何が書いてあったかまったく憶えていない!長大な交響曲にどっぷり浸かっても、音が去った後にその再現ができないのと同じなのだ。小説とはまさに「読む時間」の中にしかない。

 そんなサプライズを簡単に手に入れることが出来るはずがない。それよりも、これまで、世に出た本で「読む快楽」を教えてくれる本があるはずだ、恐らく、「書くこと」よりも「読むこと」が先行する。そして、俯瞰して批評する言葉は別の動因からくる批評家の言葉であって、小説家のあずかり知らぬことであろう。
 ◆東京株式市場も下落が続く。先ほど、NHKのクローズアップ現代を見たのですが、いい材料がないですね。実質経済に対して3.5倍も膨れ上がっている世界経済はパンクしない方がオカシイ。北京オリンピックが終わったらどうなることやら。
 去年の1月は「東京猫の散歩と昼寝 」の言うように、赤木さんの「希望は、戦争」っていうやるせなくも悲しい叫びで始まったが、とうに経済戦争は始っているのかもしれない。
 どちらにしろ、NHKクローズアップ現代でコメンテイターが最後にいった言葉、「資本主義の限界」なんだろうね。だけど、それに変わるべきものを持つための辛抱と度胸がないとしたら、どうすべきであろうか。
 本を購入するのも度胸がいるなぁ…。http://www.halfnotetm.com/kojima-nobuo.htm