ジジ・ババにババを引かせるという労働政策

kuriyamakouji2008-03-30

 高連協とか、後期高齢者医療制度とか、グループ・ブログで「老人学」(笑)を勉強しながらアップ更新しているのですが、わからないことだらけです。
 こちらの一人ブログのプロフィールに「若者を見殺しにする国」は、「老人を見殺しにする国」でもあろう。生産点、消費点でないもっと広い視界で「働くこと」、「生きること」を考えたい。といかにも格調高く?らしさで大風呂敷を広げているが、
 高連協って、ジュンク堂大阪本店で開かれた『おひとりさまの老後』を考えるトークイベントで上野千鶴子氏が、高連協のことを日野原重明氏のような「生涯現役」のようなパワーあるスローガンを押し出しているお年寄り達と言っていたが、お年寄りの権利主張にはそんな強度が必要なんでしょう。戦って勝ち取るですからねぇ。お年寄りも例外ではない。僕のような軟弱な年寄りはお呼びではないかもしれない。
 赤瀬川原平氏の脱力系「老人力」では、もはや老人であろうとも生きられないということでしょうか。生産力として期待されている。
 僕は生産点よりは消費点に重心を置いて「老人について」考えたいのですが、許されないのか、老人だからと言ってもグローバル化の波から「甘えと依存」で隠れおおせることは段々と無理になって来たのでしょう。雑誌『オルタ・1月号』で五十嵐 泰正氏が『「ババ抜きゲーム」は続くのか?/国内第三世界化と外国人労働者という論考で南北問題の国内化の処方箋として高齢者の労働力を利用するという興味ある提案が示されていましたね。

 仕事、特に若い世代のそれをめぐって、仕事をする側に関しての議論は様々に蓄積されてきた。たとえば、キャリアの蓄積に向かわないデッドエンド(袋小路)のような仕事に従事する若者に、どう専門性を身につけさせ、ステップアップのハシゴ(キャリアラダー)を架けてゆくかという議論が焦点化してきている。本連載第三回の阿部真大のすぐれたエッセイ(註1)は、現実をしっかりと見据えた上でこの論点を的確に整理した。

 ということをめぐって、デッドエンドジョブを外国人労働者にになわせると言った道行きから、高齢者に回路をつなぐわけ。

阿部も認めるように、キャリアラダーをめぐる議論とは、「未来のある安定した仕事」へとハシゴを架ける可能性を一つひとつ発見し、その道筋を構築していく個別の陣地戦でしかない。ハシゴが絶対に架けられそうもない仕事も世の中には転がっているし、「資本の論理」とやらは、「まともな仕事」を次々にフォーマット化・マニュアル化し、デッドエンド・ジョブへと組み入れてコストダウンを図っていく。そうした環境で行われる陣地戦は、うまくいってもイタチごっこであり、悪くすればイス取りゲームである。絶対に必要な戦いではあるが、本質的に効果は限定的である。
 そうするとわれわれの前に、ある避けがたい、冷厳な問いかけが浮上する。 「デッドエンド・ジョブを誰に押し付けるべきなのか?」もしくは、「国内第三世界に誰を囲い込むべきなのか?」(中略)/一九六〇年代の成長期、ドイツやフランスをはじめとした西欧諸国は、労働許可証を発給した外国人を、ゲスト労働者としてローテーションで受け入れ、建設業や製造業などの過酷なデッドエンド・ジョブに従事させていた。ヨーロッパでのこのシステムは、オイルショックの低成長期にいったん終了するが、似たような発想の外国人受け入れ策は現在でも各国で盛んに行われている。日本でも受け入れが少しずつ始まった介護や、「少子化解決の切り札」として近い将来議論になることが間違いない家事・育児の分野では、シンガポールや台湾、香港などのアジアの新興工業地域ですでに、有期雇用契約によりフィリピンやタイなどからの女性が大量に受け入れられている。日本の外国人研修制度は、人材育成という美名の下での労働法さえ適用されない超低賃金労働という実態が露見しているが、これもハシゴの架からない産業構造の最底辺での実質的なローテーション・システムとして機能している。

 しかし、、外国人にババを引かせる政策は本質的な困難をはらむ。そこに登場したのが、「高齢者」なのです。ジジ・ババにババを引かせるという労働政策ですね。

外国人でも問題があるなら、どうしたらいいのか。ある社会集団にババを引かせるという発想を前提とする限り、筆者にはあり得べき選択肢は一つしか思い浮かばない。以後のキャリアアップも家族形成も考える必要のない、「高齢者」である。官僚出身の労働政策の専門家、濱口桂一郎も最近指摘している方向性だ。しかし、社会保障費の中でも高齢者関連の予算が突出しているようなこの国で、現行の「シルバー人材サービス」程度以上に抜本的な形で達成されることは、政治的プロセスを考えても現実的には当面想像できない。

 確かにわれわれは労働者であると同時にわがままな消費者である。「資本の論理」っていうか、「無痛文明」でも、「大衆消費社会」でも、今日の金がなくとも多分、手放すつもりがない。上野千鶴子氏が、「金持ちより人持ち」とノンシャラに言っていられるのは、最早、その「資本の論理」が自明でその前提に立っている。「金がなくとも人持ち」の社会システムを構築しようとするマニフェストではないと思う。
 上野さんは、トークで、「生涯現役」なんてイヤだなぁというモードで喋ってくれたが、そのことは大賛成であるけれど、だけど、まだまだ、五体満足の年寄りは働き続けるのでしょうね。団塊の世代の知人が数年前までは、定年退職後は働かないというようなことを言っていたが、先日、会うと、同じ職場で働き続けることが決まったと言う。2007年問題と言われて大量の退職者が続出ということが言われていたがどうも実体はそうではないねぇ。
 「デッドエンド・ジョブ」で再就職するのではなく、従来のキャリアを生かして働くというマットウと言えばマットウですが、これでは、相変わらす、「デッドエンド・ジョブ」を若者、外国人に担わせるということにならないか。
参照:http://uniquefacelabo.txt-nifty.com/blog/2008/03/post_58a0.htmlより
メディア・パブ: 止まらないグーグルの頭脳流出,活気づくスタートアップに転職
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/2decb7cbd0c6a1cb126eaefee6449fd8
自由より道かぁ、フォームを固めることによって自由なバットスィングを得ることが出来るもんねぇ。
高連協 | JANCA
janjan高齢者よ連帯せよ 堀田力・樋口恵子両高連協代表と語り合う(2004/06/19)
高連協 | JANCA
Aging in Japan: イベント告知:高連協・国際シンポジウム「シニアと環境問題」2008年3月7日開催
http://www.jarc.net/org/org04-3.html
高連協加盟有志32団体と(財)公益法人協会が緊急提言|公益財団法人さわやか福祉財団

いま伝えたい大切なこと―いのち・時・平和

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