友達からはじめるしかないのです。

こちらの宮台真司新聞に僕のエントリーがリンクされていたので、批評における「エロス」と「名誉」――宇野常寛×東浩紀論争 を思わず読んだら、面白かったです。
偶々、本田透の『喪男【モダン】の哲学史』を読んだばかりなので、宮台真司新聞で取りあげられたトピックは非常によくわかる。まあ、ジジィの僕はホルモン療法継続中でもあるので、「性愛コンプレックス」を焦点化しようにも、出来やしない。そんな性愛と無縁の地平から「宮台真司」、「東浩紀」に関心を持っているわけで、「ナンパ師」/「ギャルゲーマー」でもない「第三の道」とわざわざ言わなくても、自明のこととして僕は「友達からはじめよう」と自然に振る舞っています。それでいいんじゃあないかなぁ。まあ、多少残念であるけれど、(笑)
モテ系/非モテ系の思考実験は脳内の整理整頓に予想以上のチカラを発揮してくれましたが、やっぱし、「生身の人」と付き合うことは避けて通れない。まあ、裸の生身とはなんぞや、生身も所詮、現象で、「物自体」ではないと言われればそうでもあるけれど、僕にとって「生身とは痛み」でしょうね。「死という観念」を幻想、妄想と片づけても痛みも脳内現象だと説明されても、やっぱし、「痛みは痛み」、クオリアの茂木さんが、「匂い」でクオリアを感じるみたいなことを言っていたような記憶があるが、「痛い!」という驚きで、クオリア(生身)を感じます。他者の発見があるとしたら、多分、そのような痛点だと思う。
宇野常寛SBクリエイティブ
東浩紀hirokiazuma.com