ニヒリズムを越えて

偽満州国論 (中公文庫)

偽満州国論 (中公文庫)

武田徹が、「チベット問題」をマル激で宮台真司とゲストを招いて熱く語っている。長時間なので、視聴するだけで、昨夜、寝不足になりました。内容の濃いもので、勉強になりましたよ。(http://www.videonews.com/on-demand/361370/001282.php
確かに、満州国における過ちの歴史的智慧の受け渡しがチベット問題にも必要かもしれない。
参照:http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20080403/152118/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20080403/152118/?P=2
北京五輪チベット騒動の深層
お忙しい方はpart2から視聴すると良いかも知れないですね。

ゼロ論壇とやらの言論も(自称)公的なものになると赤木の当事者性を通り過ぎてしまうわけで、赤木に言っていることは逆立ちしてそのまま自分たちに反ってくる批判なのではないのか。

それはそうと、上の武田徹日記で、「『論座』のゼロ世代論壇の特集」について言及していたが、「意味」と「強度」のバランスなんだと思うけれど、ケータイ小説も「強度」がウリなんだろうねぇ。本田透の『なぜケータイ小説は売れるのか』(ソフトバンク新書)のbk1レビュー「喪男」【モダン】のケータイ小説論考をアップしました。フリーライターの成松哲氏によると、「ケータイ小説書籍のメイン読者は、地方都市……例えば北関東」なのだと、本書で紹介しているが、わかる気がします。

《文学者も思想家も「物語」を作らない。だから彼女たちは、自分自身で「物語」を作ることにした。そこにケータイが現れた。》
東京と地方の格差の最たるものは「情報」(メディア)でしょう。
だだっ広い国道、カラオケボックス、ホームセンター、コンビニの背景が生みだす物語を「日常をまったりと生きなさい」という補助線で、それなりに耐えるには、ケータイ小説という物語以前の実話(説話)を「吾がこと」の如くシンクロすることでしか癒されないのではないか。
かくのごとく、資本主義体制の生きづらさをおカネ(消費)で癒されることから遠ざかされれば、「真実の愛」にしがみつき、信じるしかないのであろうか。
著者は遥か昔からそんな三次元の愛に断念して「ギャルゲーマー」として潔く萌えているみたいですが、それで、貫徹できたら、老後にならなくとも「おひとりさま」として豊かな性愛の日々を送ることができるでしょうね。
≪考えて見れば、現実と物語の区別がついていないケータイ小説少女のほうが、より悲惨なのかもしれない。その実人生の先に、「真実の愛」など待ってはいないのだから。しかし逆に、「真実の愛」を真剣に信じられる彼女たちのほうこそが、ほんとうに救われているのかもしれない≫と著者は嘆く。
だからこそ、彼は叫ぶのだろう!≪筆者は命があるうちに、いつかきっとこのニヒリズムを超越するための「新しい物語」を生み出したいと願っているのだ。≫
本田透がそのような小説(新しい物語)を上梓したら是非とも読みたいですねぇ。ーhttp://www.bk1.jp/review/0000465233よりー

イオンが不採算店舗を縮小の発表がありましたねぇ。地方の核となる大型店が出店してその影響で地元の商店街がシャッター通りになり、そんな焼き畑農業の手法で最早、出店のメリットがないからと言って撤退とは、残された商店街はたまったものではない。資本制のシステムにはそんな市場論理を許容する合意がある。スクラップ&ビルドはそんな市場の焼き畑農業なのです。
ナショナルチェーンにはそんな地域を長期展望で育てる観点が端からない。
それどころか、ナショナルチェーンもグローバル化の中でこの国も市場の論理で他の国と相対化して海を越えて出店する。そういう動きは最早とめることは不可能なんだろう。
http://www.hayamiz.jp/2008/05/post-388b.html
「小田光雄の郊外文学」
経済、株価、ビジネス、政治のニュース:日経電子版
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イオンが変える流通業界再編地図

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