言論の自由と言うよりセキュリティなのか、


斎藤貴男が司会で、ゲストが鈴木邦男森達也の マル激トーク・オン・ディマンド 第367回(2008年04月13日) の『言論の自由を宝の持ち腐れにしないために』を聴きました。
http://www.videonews.com/on-demand/361370/001288.php
言論の自由の問題というより、「安心・安全」の欲求度が高いのでしょうねえ。でも実際、データによる犯罪率は過去の時代、例えば、「ALWAYS〜」の昭和30年代、40年代と比べても1/3以上の犯罪が減っている。にもかかわらず、「セキュリティの関心度」が今ほど高い時代はないのではないか、「見えない不安」にKYで多数の人々が感染して、面倒なことは避けたい、トラブル回避の最適化に邁進して異物を見たくないという強度が段々と厚くなっているのでしょう。理屈ではなく感情だけに厄介ですね。せめて、マスコミがそんな感情の濃度を冷ます役割をすればいいとは思うけれど、それじゃあ商売にならないのでしょう。
せめて、商売抜きのネットで、熱冷ましのシニカルでアイロニカルなユーモアのある言葉が飛び交えば少しは「頭を冷やす」処方箋になるとは思うけれど、ネットも「炎上」したがりますねぇ。
僕は本気度を別に否定しない。むしろ大好きです。でも、その本気度は自らを晒した度胸が要請される。おそらく、それは一生の中で一度しか抜くことの出来ないものかもしれないし、一度も抜くことが出来ないかもしれないが、常に覚悟を背景においた言説を心がけたいとは思う。そんな覚悟がないうちは沈黙したい。