◆今日(08/5/13)の「図書館エピソード」(このカテゴリーは↓に隠れているので上に上げました。↓からの続きです。)

かって、2006年に共同出版新風舎について僕はこんなことを書いていた。ブラックユーモアですが…。

例えば膨大な点数を抱える新風舎は一万点×300冊=300万冊の在庫(ちゃんと全部数印刷しているなら…)ぐらいになると僕は勝手に予測するのですが、この数量はメガ書店の○倍以上になる。図書館としてその1/10でも中央図書館級でしょう。微々たる回転数しかないとしたら、長年持ち続けるしかないわけです。20兆円ビジネスが大風呂敷としても、その1/10の100万人の人たちが「書き手」になれば、一番、悩ましい問題は保管場所でしょう。そんな流通倉庫として夕張市の施設が利用できないかなぁと考えたのでした。
 そんなに「自己表現したい欲望」が強いなら、国家プロジェクト、町村プロジェクトとして「自己表現掘り起こし」のビジネスを立ち上げて財政の補填にあてるというのもいいですね。
 夕張市の報道を見ていたらなんら具体案がないみたいだから、そんなことを思ってしまいました。(中略)「自己表現ビジネス」って究極の「心」のデータが集積出来るわけだ、行政にとって、そのデータも生きる。「自己表現」を極端に薦めることによって、ジョージオウエルの「1984年」の世界が可能となる。「Death Note」にひょとしてサインするみたいなことになってしまうのだろうか、ひっそりと潜む影が段々と少なくなって行く。ー『1984年の朝の夢』よりー