ケータイ小説ではなく、「メタケータイ小説」語りがオモロイ。

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

目次:http://www.hayamiz.jp/2008/05/post-864a.html
参照:http://www.hayamiz.jp/2008/06/1-d395.html#more
ケータイ小説のリアル (中公新書ラクレ)

ケータイ小説のリアル (中公新書ラクレ)

ケータイ小説は文学か (ちくまプリマー新書)

ケータイ小説は文学か (ちくまプリマー新書)

 石原さんが多くの「少女」が『天使がくれたもの』、『恋空』を安心して読めた理由は、ヒロイン達がいずれも男性に頼り切っているからであるとテクスト分析しているが、そのようなホモ・ソーシャルな構図(父権制資本主義社会)の物語は「勘弁してよ!」っていうオヤジだから、ケータイ小説がとてもじゃあない、読めなかったのでしょうねぇ。石原さんは漱石文学の専門家だから、典型的な類例として「こころ」をあげて先生とKはホモソーシャルな構図の中で先生の結婚相手の静を先生とKとの友情確認のゲームのいわば「貨幣」のような役割を静は担わされていたと読解するが、そのような女性蔑視が基底にあるのが、ホモソーシャル社会なのです。
 父権制恋愛資本主義って言ってもよい。そんな古くて強度のある物語のクリシェに乗っかっているからオレは「つまんないなぁ」と読めなかったのか。ナットク。 昨夜、杉浦由美子の『ケータイ小説のリアル』の書評投稿をしましたが、朝一にアップされていました。
「ダメ!」っていう投票が一票すでにカウントされていて、半ばナットクの気分があります。書評というより「ブログ語り」の延長ですねぇ、杉浦さんの本そのものはそのような「自己語り」が前景化しない、丁寧に取材を積み重ね、抑制した文体で、とても好感のもてるものでした。力業の仕事ですよ。
 それに比して拙書評は気楽なある種の無責任さがある。そういう自己批評を吐露して、こんな書評投稿した『美しくない「書く消費」』を書いたことに、まずは作者に謝りたいと思う。ちょっぴりね、 m(___)m
http://www.bk1.jp/review/0000466945
 だけど、僕の書評よりは一日前に投稿したこちらの書評は秀逸ですねぇ。
http://www.bk1.jp/review/0000466911
 著者コメントもあります。
http://www.bk1.jp/review/0000465909
 ◆ネタはブログに書いた「こちら」と趣旨は同じなので、拙ブログを読んだ方には、bk1書評投稿バージョンとして理解してもらいたいです。
 ただ、ほぼ間違いなくケータイ小説」書籍を購入する人は、このような優れたケータイ小説分析論を読んでみようとは思わないだろうし、読んでみようとする人はネットでケータイ小説にアクセスはするであろうけれど、ゼニを出して「ケータイ小説」書籍を買わないだろうという捻れは予想出来ます。