軋む社会

軋む社会 教育・仕事・若者の現在

軋む社会 教育・仕事・若者の現在

本田由紀の『軋む社会』を読了。少し、頭を冷やしてbk1に書評投稿したいねぇ。
本書に収録されていて、初出が『すばる 2007年7月号』に掲載された一文なんだが、『「ハイパー?プロ文?時代」がやって来た!?』の鼎談が面白くて、プロレタリア文学音痴の僕としては、鼎談中で紹介されていた宮地嘉六の『放浪者富蔵』を読みたくなりました。
ひょっとしたら青空文庫にコンテンツがあるんではないかと検索したら、残念なことにありませんでした。でも、葉山嘉樹の『淫売婦』、『セメント樽の中の手紙』はありました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000031/files/397_21662.html
http://www.aozora.gr.jp/cards/000031/files/228_21664.html
鼎談者のひとり、楜沢健は、本田さんに対してこんなことを喋っている。

[…]たとえば、フリーターやニートという言い方は、それは官製用語と同じで、企業や財界、あるいは広告会社が私たちに上から押しつけてくる言葉です。そんな風に都合よく分断され、一人ひとりが狭い現実に押し込められ管理されていく。フリーターという枠、ニートという枠のなかでおとなしくしていろ、と。だから、ある日突然『セメント樽の中の手紙』がやってくるんですよ。おとなしくしていることに耐えられなくなって、出会いを求めてやってくる。与えられた言葉のなかで自足するのではなく、むしろフリーターやニートという枠を破るような出会いが描ける小説が、求められていると思います。(p227)