森岡正博/石井慧

http://www.bk1.jp/product/03016797

【「恋愛学」と言うより、「いい人」になるための実用書ではないか、】というタイトルで、bk1森岡正博さんの『草食系男子の恋愛学』のレビューをアップしました。
http://www.bk1.jp/review/0000468318より、著作権は僕にあるので、レビューは全文引用アップしてもいいとbk1書評担当者が了承しましたので、ブログにアップしてみました。これからも別の拙レビューを追々掲載しようと思います。アップしたのはイタリックの部分です。
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だから、男性は、人間的な魅力を備えることだけを目指していればいいのである。/そしてあとのことは、すべて女性側に委ねていればよいのだ。p182

 こういうもの言いは、散々聞かされている「人間力」なのではないかと思ってしまった。それは教育の場でも言われるし、『軋む社会』の本田由紀が「ハイパーメリトクラシー」と術語する期待される労働者に要請されるスキルと横断するものがある。
 それは、恋愛の場であれ、「ハイパーメリトクラシー」(人間力)がないやつは、学校、仕事、男と女の現場でも生きづらいと言うことを再確認する身も蓋もないことになってしまう。
 近代型能力/ポスト近代型能力と二分法すれば、頭の中が多少スッキリするが、待てよ、学校、仕事においてはシステム、構造の問題として処方するのはそれなりに実効性があるけれど、男と女の問題に本書はいかほどの処方箋としての効力があるだろうかと悩んでしまった。
 近代社会であれ、ポスト近代であれ、前近代であれ、近代人間が誕生する以前の源氏物語であれ、万葉集であれ、男と女が歌われ、描かれた。
 教育や労働を分析する手法では、恋は語れない。だから、著者の言う「人間的な魅力を備える」と、巷間に言われる「人間力」とは多分違うのだと思うが、そこのところに違和感がある。
 著者は、ブログやネットラジオで盛んに若者のための「恋愛・実用書」とおっしゃっている。
 だけど、相手の身になって考えるなどの「人間力」は、男であれ、女であれ、本田由紀の言うハイパーメリトクラシーは、少なくとも数値化、制度化によって見えるようにしようとして、批評の対象にしているが、本書では、具体的な事例を挙げてはいるものの、結局は「自己責任」のような言説に回収されているような気がする。
 恐らく「挨拶」「雑談」でさえ、スムーズにゆかない異性に対する自意識を宥めることが出来れば、何とかなるんだろうけれど、本編で、まずは「あいさつから」と言ってしまう著者の念頭にそのよう挨拶さえ出来得ない男子を第一の読者に想定したと思われる。だけど、そのような読者が本書を手に取るだろうかと心配してしまう。
 むしろ『萌える男』の本田透のように最早、金や仕事、文化的リソースを背景にイケメンであろうが、なかろうが、恋愛市場が要請する「人間力」(ハイパーメリトクラシー)から脱退して、二次元キャラと脳内恋愛する断念の潔さに惹かれるのではないかと思ってしまう。
 年功序列型、父権制社会にあっては、会社、家族、地域が「見合い制度」のような慣習が根付いて、そんな恋愛資本主義言説に右往左往されることはなかった。恋愛結婚なんてマイノリティで、いまでも、多分、恋愛は大海の針にようなサプライズだと思うけれど、とにかく、恋愛出来ないヤツは、非モテ系として人間じゃあないみたいな断罪がある。
 そんな恋愛至上は、恋愛市場を基盤において駆動している。著者はそのような時代に対して異議申し立ての気持ちもあったと思う。
 二次元ではなく、三次元でささやかにそれが恋愛という強度を持つかどうかは、問わないで、とにかく男の子が女の子と付き合うにはどうしたら最適かと、説教にならない囁き声で誠実に答えようとしている著書であることは間違いない。
 ただ、それが恋愛に対して何らかの効用を発揮できるかどうかは、なんとも言えない。ただ、「いい人」になれるための啓蒙書にはなっている。
 「草食系」とは、年齢、性別を問わず、リスペクトされる「いい人」になれる鍵概念でしょう。そのような「いい人」になれない人は恋愛市場で予選失格なのです。単なる「肉食系」では「いい人」になれないわけです。

「いい人」が「恋人」になるかどうかを決めるのは女性の側なのであり、男性がそれをコントロールすることはできない。大事なのは、どんな男性であっても「恋人」として見られる可能性は常に開かれているということである。p182

 まあ、予選段階の「いい人」には努力すればなれるということでしょう。その限りにおいてそれは「自己責任」とも言える。その「いい人」になれるノウハウを具体的に書いているから実用書とも言える。
 でも、恋愛実用書とは言えないでしょう。多分、恋愛は個別・具体的でマニュアル化出来得ない奇跡に属する出来事で、「恋愛至上資本主義」における恋愛が果たして恋愛といえるかどうか、眉に唾して相対化するくらいのアイロニカルな<草食系>のポジションで、それでも、わけがわかんなく、「あいつが好きになった」と叫んだ時、恋愛という異次元に人は入るのだと思う。
 最早そこでは「草食系」、ベタな「肉食系」どちらも洒落臭いと哄笑せざるを得ない。
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レビューには書いていませんが、柔道の石井慧さんに『肉食系男子の恋愛学』のような本を書いて欲しいと思いました。
どこかの版元で企画しないかなぁ…。
どうも、草食系男子のイメージが本書を読んでももう一つはっきりしなかったのですが、連日、テレビで石井さんの言動、振る舞いを拝見して、そのアイロニカルでユーモア溢れる動きは、草食系、肉食系のカテゴリーに収まらない性別を超えた「男前」の若者(男子)っていう感じがします。
「悪い人」になるための実用書になってしまうかなぁw。
先日、ビデオニュースドットコムで武田徹宮台真司森岡正博と二時間余り、『草食系男子の恋愛学』をめぐって侃々諤々やっていましたが、森岡正博石井慧トークなら絶対面白いものになると思う。(http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20080824/p1