不意に明日が見える


宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』を読んでいると『すいか』も『野ブタ。プロデュース』も『木更津キャッツアイ』、『セクシーボイスアンドロボ』も観ていないのですが、とても観たくなり、レンタル屋に『すいか』があったので、昨日借りましたが、とても面白かった。それで、引き続き借りるつもりが、貸出中なので、棚にあった『セクシーボイスアンドロボ』を観たが予想以上にドンと撃たれました。
三日しか記憶のない殺し屋の中村師童がつぶやく詩のシーンが動画にもアップされていました。黒田三郎の詩です。
お前には不意に明日が見える/明後日が…/十年先が/脱ぎ捨てられたシャツの形で/食べ残されたパンの形で/……
木皿泉はいいですねぇ。

 「〜である」という自己像=キャラクターへの承認を求める限り、私たちはその共同体=物語に永遠を求める。キャラクターへの承認は解除された途端に消滅するからだ。そのため私たちは有限の共同性を永遠のものにするために、決断主義という名の暴力を選択する。
 しかし、「〜した」という関係性への信頼はその共同性が消滅しても残り続ける。ー宇野常寛著『ゼロ年代の想像力』p179ー

黒田三郎詩集 (芸林21世紀文庫)セクシーボイスアンドロボBOX [DVD]ゼロ年代の想像力