穴の開いた月見草

エクソフォニー-母語の外へ出る旅-

エクソフォニー-母語の外へ出る旅-

昨晩は京都の法然院の講堂多和田葉子の朗読があって予想以上に素晴らしく、お寺さんなので、照明を落とし、暖房のモーターの音もなく、京都の町の夜景を背景にして、多和田葉子はこんばんはと言う挨拶だけで、いきなり、CDを手に「穴の開いた月」のモチーフで、昔書いた詩の朗読を始めたのですが、暖房はストーブの暖色で、薄暗い中で、やおら取り出した銀色のCDをマイクのようではなく鏡のようでもなく、それのどちらでもあるような仕草で月見する童女になりおうせた狂いが静に始まって作家はにっぽんごで詩を語り始め、京間の座敷には50人ばかりの老若男女がいたのですが、次第に作家の声に感染して行く張りつめた夜気が気になり、樹はキィーであり、母音のイーは、そう言えば、ちょうど、昼間、NHKの番組で、クラシックポップというジャンルですか、男性歌手が声楽とポップの歌い方の違いをクラシックは「縦」、ポップは「横」と口の開け方を教示していたが、そのことを思い出しつつ、僕は作家の口元を見つめ、ドイツ語で日本でもっとも馴染みの深いのもは、「バームクーヘン」で、「バァー」は、口が思い切り上下に開いて、逞しく大きく伸びきった感じがするが、「バァー」は「樹」のこと、ニホンゴでは、キィー、キィーはバームクーヘンと違って大木のイメージはなく、繊細で千手観音の小枝のような優しさとも解釈できるが、それより、気狂い、気になる、気色悪い、気分、奇妙な、奇怪、など、など変換すれば、「キィー」と「バァー」とでは陰陽ほどの差異があるんじゃあないの、と。ひとりごちながら、今、キィーボード入力しているが、いまだにブラインドタッチができやぁしない、闇夜の月下でも入力できるようになりたいと、暫くバームクーヘンも食っていないが、近くの生協スーパーでは、よく何割引きかで売っていたと突然、思い出し、チラチラ脳内によぎるバームクーヘンが作家の声で天に昇り、ふと、我に返ったら、CDを幾重にも重ねた「穴の開いた月」、月、月、突き、ホルモン療法の副作用か、左の乳房が膨らんでいる。月餅はお腹だけで結構、毛だらけ、月見草。
両性具有者の夢が現かと、目眩に泳ぐと、ニホンゴの書かれた「穴の開いた月」はやがて没し、もう一枚のCDを取り出し、作家はドイツ語で翻訳された「穴の開いた月」の朗読を始める。
続きはあとで、……、
脱線:id:masayukisakaneさんが、ジュンク堂新宿店で開催されたトークセッション「音楽の貧困/哲学の貧困」のレポをアップしているのですが、「CDの裏に十字型にキズをつけるそうです。するとCDで排除されてしまうノイズが聴けると言うのです。」と平井さんが友達の弁として紹介しているが、ノイズが聴ければいいけれど、今度、実験してみようと思ったけれど、再生しないで、CDプレイヤーが壊れたらこまる(汗)。サバルタンと歴史千のムジカ―音楽と資本主義の奴隷たちへ
キズついたCDは、歯ぎしりの「キィー」♪
穴の開いたCDは、甘い「バァー」♪
一回こっきりで再現できないけれど、法然院の受付で多和田さんの要望で漢字一字を半紙に入場者全員に書いてもらっていると言うのです。仕方がないからと大きく書きました。
まさかその半紙の束を持って「自動書記」的語りをするとは思いませんでした。様々な漢字一字一字をめくりながら即興で客席をまわりながら漢字一文字をキーワードにして語る。僕の書いた「天」は遠くからちらっと見えたけれど、ひょっとしたらドイツから来た留学生の女の人に渡ったみたいでした。語り終わった半紙はお客様に手渡すパフォーマンスなのです。
僕の手元に作家から渡された漢字は「踊」でした。
そんな諸々の連想からオーネット・コールマン♪の「 Dancing In Your Head 」

参照:私がフランス語で書く理由 - ちびころおばさん備忘録