映像の中の戦争


昨日、梅田テアトルで、映画『redacted/リダクテッド真実の価値』を観ました。リダクテッドとは、「編集済み」の意で、告訴に繋がり得る「取り扱い注意」の情報が削除された文書や映像を指すといった説明が字幕でなされ、あくまで、動画映像も挿入させながら、パーソナルなリアル感をドキュメンタリー風に仕掛けつつ、あくまで、これはフィクションだと色んな説明が、うるさくなされる。冒頭から、僕の好きなヘンデルの「サラバンド」の曲が流れるので、音に浸れた分だけ、気にはならなかった。
事実は一つだけど、それぞれの真実、言い分があると言うことでしょう。
先日、大阪国際平和センターから封書が来て、12月7日に戦争にまつわる資料を提供してくれた人に感謝状を贈りたいので、是非とも贈呈式には参加して欲しいとの案内が来ました。
応召兵としてオヤジが参加した約12年間の戦争資料を今夏、ピースおおさかに提供してお礼なのです。
オヤジは克明に従軍日記もつけており、戦争の渦中にありながら生活があった。銃撃もされ、右頸部貫通の銃創を受けている。
アルバムの写真にも一葉一葉に克明なキャプションをつけており、徽章、賞状、いわば戦争グッズの数々をきちんと整理保管していたのです。軍刀までありましたが、それは、ピースおおさかで保管することが出来ず、仕方なく地元の警察署に軍刀を持参して処分してもらいました。
こういう戦争資料はオヤジの中でどのような位置をしめていたのか、そのことについて話したことすらなかったです。ただ、オヤジのIDにおいて深くかかわっていたことは間違いない。
贈呈式には参加するつもりです。
私は貝になりたい』の映画がリニュアールされて今、公開中ですが、僕はフランキー堺出演の映画を観ています。
事実あった戦争と映像化された戦争とのズレを埋める作業は強度のある思索が孤独に営まなければならないのだろうが、そんな執拗な作業に耐えきれないで適当な落としどころで、世間に流通するイメージとして切り取り、「戦争/平和」の二分法で断裁する。何故、そんな簡単なものにもかかわらず、戦争・紛争はなくならないのか?
その問いに対する最適化のヒントがこの映画「リダクテッド」にはある。一件落着の消費される映画ではないのです。未消化のまま、問いが観客席に投げ出される。監督にも答えはないでしょう。
ただ、不断に映像でもって問いを発するしかない。映画だけではなく、マスメディア、ジャーナリズムの反骨心を問う映画でもある。

監督・脚本:ブライアン・デ・パルマ
出演:ロブ・デヴァニー/イジー・ディアズ/パトリック・キャロル/タイ・ジョーンズ/ケル・オニール/ダニエル・スチュワート・シャーマン
2007年/アメリカ=カナダ/90分

リダクテッド真実の価値
映画見聞録 『リダクテッド 真実の価値』 | ポプラビーチ
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=9401