夢の切れ端

(LIVE) 井上陽水 忌野清志郎 高中正義 細野晴臣 - Acoustic Revolution 1991

前日、中上健次の『夢の力』から引用しましたが、本書はもう本棚にないです。ノートの切れ端だけ残っていました。だから、原典と確認できないが、僕が書き込んだ引用文を引き続き書いてみます。

小説のリアリティとはその夢の力ではないだろうか、いやリアリティーと文学言葉を使うのではなく、小説を書いたり読んだりする楽しさ、醍醐味である。書き手は読み手の夢の力を頼って小説を書く。破廉恥漢でしかない男が、夢の力により、大思想・大人生問題の末、人を殺したと書き得る。私はそんな小説の自由が楽しい。

こういう一文を読むと、1982年に発刊された時代背景の豊饒さを思う。恐らく、2001年の同時多発テロ以降にしろ、時代を遡って1995年のオウム事件にしろ、この十年超は確かに何かが失われたのであろう。
僕は今年で「延命10年」をクリアしたけれど、「夢の力」っていうより「いのちの力」に力点を置いた臆病さかもしれない。

性と生の力、それをいわゆる暴力と混同する見方がこの奇妙な厭なところを形づくっているし、味の悪い閉塞感を作っていると思うのである。力信仰と力嫌悪がない混ぜになっている。(p96)

中上はこんな風に言っている。戦争の暴露をせぬまま、文学は戦争を欲している(P102)

批評の方法としてか「事実は復讐する」であるなら、小説の方法の最過激は「事実に復讐する」方向である。