正規労働者/非正規労働者(安全基地)

kuriyamakouji2009-01-09

若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何かクオリア立国論「三十歳までなんか生きるな」と思っていた
すべての経済はバブルに通じる (光文社新書 363)
ある人のしどろもどろなため息。

ただ、会社など「どこかに属す」ことがないと外面的に認められない社会だな、って思うんですよ日本って。そして、「属せない」ことに対するプレッシャーて外圧より実は自分自身の内側に強くあるんじゃないかと思う今日この頃)

と、ある人のため息を勝手に引用したが、その切なさが届いたのか、今日の毎日新聞の18面の論点で、猪口孝茂木健一郎赤木智弘が「2009年日本への提言」の記事をアップしているが、赤木さんはこんなことを書いていました。

 今回の連合によるベア要求は、格差問題がけっして「労働者vs経営者」という二元論に納まる問題ではないということを明らかにした。今後、現状の立ち位置をうやむやにしたまま「正規も非正規も関係なく、一緒に闘うべきだ」と共闘を訴えるだけの言論は説得力を失うだろう。
 その代わり、正規労働者、非正規労働者、そして経営者など、さまざまな立場の人たちの利害関係を丁寧に読み解き、答えを出すための言論が求められるはずだ。「正規労働者と非正規労働者が対立している」という当たり前の前提が共有される流れが生まれれば、問題解決に向けた大きな進歩となる。

確かに連合はその労働運動の軌跡として、「資本家vs労働者」の構造の中で資本家と戦略的に互いに闘い、妥協しながら最適化の着地点を求めたわけでしょう。そして共有されたことは<会社の成長><所得倍増・賃上げ>だったわけ。
そして、その調整弁として利用されたのが、非正規雇用で、労働市場に最初からカテゴリーとして非正規労働者が認知されていたわけではなく、結果として山谷なり寿町、釜が崎に、そして、僕の生まれた港街にもあった、手配師や立ちん坊のような鬼っ子を生んだ。仕事にあぶれた兄ちゃん達と、中学校の校庭で草野球をした思い出もありますよ。
まあ、そんな風にして寄せられていったわけでしょう。そう、寄せ場はいつの時代にもあったのです。ただそれは、ブラックな労働市場だったわけでしょう。会社ではない、「仁義なき戦い」の組織が<豊かな関係性>でそれなりに、同紙面の茂木健一郎の記事「内なる原理を磨こう」で言及されている言葉を拝借すれば、裏稼業なりの「安全基地」(プリンシプル)によって何とかホームレス化が防がれていた側面もあったわけすよ。でも、今は、ある種のクリーニング作戦で、「プー太郎」は生き辛くなった。
そんな文脈の中で、派遣法が改正され、手配師が人材派遣会社として表舞台に登場して、極端に流動化した派遣労働者が誕生したわけです。
当然、組合費を払っていない非正規労働者に対して<連合>は原則として「預かり知らぬ」を広報するのは理に適っている。
だから、誤魔化さないで、<非正規労働者>に連帯の媚びを売らないで、「きみたちの面倒は行政の問題で、われわれにはいかんともし難い、われわれは<ベア要求>という運動を貫徹する」、「もしあなた達が新たな労働運動を起こすと言うのなら、支援出来ることがあるなら、支援しましょう」、それでいいのだと思う。赤木さんの趣旨はそういうことではないか。
当然そこに<連合>が理解している労働運動<賃上げ運動>(経済成長を核とした)ではない、<分配の時代>に適した「ワークシェア」、「ペイシェア」にアクセスした単なる「経営者vs労働者」に回収できない、再分配の労働運動が想定されるから、従来の労働運動とは敵対するシーンがあり得るであろう。そして、それは国民全員、国境を越えて全世界の人々まで、勿論、ガザまでもリーチが届く運動になれる予感がする。
<賃上げ闘争>では、国境を越えて誰かを排除する、又は国内でもしかり。椅子取りゲームですよ。そんな、搾取・排除の構造を変えない<賃上げ闘争>では一方で貧困を生み続けることになるでしょう。解が回避されるだけです。ネズミ講と同じ。『すべての経済はバブルに通じる』の小幡績は身も蓋もなく資本主義の原理はネズミ講と言っちゃいましたがw。
僕は茂木さんの言う「安全基地」の考えが大好きで、「安全基地」がなければ冒険も出来ないわけです。チャレンジの基底にある「プリンシプル」が「安全基地」ですよ。それは、社会システムでもあるし、コミュニティ、関係性でもあるけれど、「内なる原理」(安全基地)でもある。信条とか、信念、メタをささえる「ベタ」と言ってもいい。そのようなナイーブさが「力」になり得る。
まあ、安全基地は「ネズミ講」で大歓迎だと言い放つ「働く意欲のないギャンブラー」(プー太郎でもある)は僕の周辺でも沢山いますけれど、それは仕方がないことだと思う。
それが彼らの信条だから。ただ、そんな彼らは、強かなのか、身ぐるみ剥がれてすっかからんになっても、巧みに社会システムとしての「安全基地」を利用しますねぇ。問題はギャンブルもやらず、帰るべき家族もなく、友人のネットワークもない<働く意欲>がある人達に行政はいかに手を差し伸べるかとが出来るか、そのような申請主義ではない「安全基地」の構築は必要かもしれない。本当に必要な人は自ら申請しない場合が多い。
保坂和志の『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』に収録されている「プー太郎が好きだ」のエッセイを昨日、再読したけれど、僕も基本的にプー太郎が好きなのです。だから、困る。
例えば、「連合大阪」が「非正規労働センター」を4月1日から立ち上げるが、赤木さんの言うようにむしろ対立関係を強調するなら、非正規の労働者達が、<賃上げより分配>を焦点化したセンター(安全基地)を積極的に構築すべきでしょう。
それはそうと、《「非正規労働センター」では、従来の労働相談への対応はもとより、新たに労働に関する情報やさまざまなサービスを提供していくネットワーク会員組織を立ち上げます。そこで、非正規労働センターの活動のスタートを記念し・・・ネットワーク組織の名称を大募集します!》とのことで、3万円の商品券を狙って応募しようと思うのですが、いいキャッチが思い浮かばない。コンセプトは、<再分配の労働運動>です。
そうか、「安全基地」エルセンターはどうだろう。