<関係性の貧困>で成り立つビジネスからの脱却

風の旅人 35号 Find the root永遠の現在 5 時と相

風の旅人 35号 Find the root永遠の現在 5 時と相

小田光雄さんの「出版状況クロニクル9」を読むと、冒頭に出版業界の主たる上場会社の株価の推移の一覧表が掲載されている。改めて、出版業界の株式市場の低迷ぶりに目を覆いたくなるけれど、他の業界もそうであるから、まあ、冷静に考えればそんなものだと思うけれど、それでも、ブックオフ、CCCの株は上昇している。その最大の要因はなんでしょうかねぇ。
大体、地元でショッピングするのは、食材のための生協スーパーを除けば、「ユニクロ」、「無印」、DVDはCCCの「TSUTAYA」、そして、本は「ブックオフ」で、新刊購入はタマに梅田、京都に出かけた時ということになる。ネットは書評のポイント還元が基本です。それから図書館で予約すれば、ほぼ何とかなる。地元の図書館を窓口にして、市の中央図書館だけではなく、大阪府立図書館から取り寄せも出来る。京都の府立図書館も充実しているし、意外と大学の図書館も便利がいい。だから、現金で本を買うのが段々と減ってきました。そそう、明日と明後日も地元の図書館で、リサイクル本フェアがありますが、そうやって、もらってくる本も結構あります。そんなんで、棚はいつも満杯状態。去年から通院している大学病院の図書館に本を寄贈しているような事態です。
そんな私的な購買動線を見ても、当然な株価推移だと思います。その例外中の例外を下にチョイスして小田さんのデータから引用させてもらいました。かような金融危機をものともしない強かさの秘密を知りたいです。

2008年1月10日 2008年7月10日 2009年1月16日
ブックオフ 624 889 844
CCC 519 530 874
三洋堂 859 1.020 1.150
新星堂 82 91 98

そんな秘密のことを想像していたら、風の旅人さんが、非常に基本的なメッセージを発信している。長文なので一部を引用します。(それでも長い)

[……]現在の消費不振は、メディアが騒いでいるように金融危機の煽りを受けた一過性のものではなく、人々の心の根っこに関わる問題ではないか。とすれば、政府がもくろんでいる定額給付金による消費刺激など空振りに終わる可能性が高い。[…]/消費経済の発展というのは、そのように家族の分裂と、世界の細分化と裏表の関係になっている。メディアや、そこに寄生する文化人は、一方で「物より心」と言ったり、「家族の崩壊」を嘆くポーズを取りながら、細分化の加速に拍車をかけることをする。自立だ、個性だ、それぞれの権利だ、それぞれのニーズだ、多様化だ、などと言葉のうえで論じながら。学問もまた、細分化によって、そこに寄生する人々の場所を多く確保できる構造になっており、カタログ化された状態のなかで、メディアなどが、その都度、必要な評論家を抜き出して消費する仕組みになっている。[…]/こうした状況は、戦後消費経済社会の発展の必然性のなかで作られてきたものだから良いとか悪いと言ってもしかたないのだが、細分化のメカニズムで肥大化したカタログ社会は、自分の人生の選択における指針にも拠り所にもならないという自覚が、少しずつ人々の心のなかに育ってきていることは間違いないだろう。[…]/私が思うに、次の段階というのは、これまでにない新しい価値観が向こうからやってくるのではなく、ずっと以前から私たちのなかに在るものだ。
 消費経済を推進する細分化、カタログ化された知識情報の洪水のなかで見えにくくされていたもの、人々に気付かれると困るから隠されていたものが、消費経済の勢いが落ちることで見えやすくなる。現在の経済の混乱は、きっとその転機になると思う。新聞やテレビで連日伝えられている「日本経済の不振」は、家電メーカー、自動車、不動産関係ばかりで、それらは間違いなく、「家族」などを細分化していくことで恩恵を受けていた産業であり、細分化を促進する力となったのも、それらの企業から多大な広告費を得ているテレビ、新聞、出版社なのだ。/新聞やテレビではほとんど伝えられないが、日本の産業用機械などを作る資本財メーカーは、現在でも世界的に圧倒的なシェアを握っている。携帯電話の中に無数に組み込まれている電子部品などもそうだ。さらに、それらのハイテク部品をつくるためのファインセラミックス炭素繊維導電性高分子、超強力磁石などの材料も、日本の企業の独壇場だ。/テレビやパソコンなどの最終製品は、派手な広告を打つから有名になるし、メディアも大広告主だから大切にする。しかし、その中身を作っている企業は、製品の品質で勝負しているので宣伝など必要ないし、メディアでもほとんど伝えられないから、あまり知られていない。だから、大学就職ランキングでも入ってこない。[…]/そして、なぜ日本の資本財メーカーが強いのかという理由を多くの人が知り、その価値観を共有するようになってくると、進むべき次の段階も見えてくると思う。/その価値観は私たちの中に存在しているのだけれど、派手で賑々しい自己宣伝社会のなかで、見えにくくなっているだけなのだ。[…]/彼らが作る物は、消費されるものではなく、その物が、他の生産活動に役立てられ、その生産活動の質を左右する。だから、その物の価値は明確になる。「論理」でごまかしがきかないのだ。/彼らが何かを行う際に、もっとも大事にするのは「場」だ。あるテンションに高まった「場」で、みんなが集まって、自分自身がリアルに感じている”自分の情報”をもとにして、ニュアンスなども総動員して、伝えようとする。その”場”には、取締役も、そうでない人も、営業も、広報も、年季の入った技術者も混ざっている。そして、営業や広報の人も、ひととおり現場を経験している。つまり、同じ空気のもと、それぞれ違った角度から様々な話し合いが行われる土壌がある。そういう話し合いの時も、スケジュールとしての時間が切り刻まれていない。「次の予定があるから、どうのこうの」という雰囲気ではない。単なる情報交換ではなく、その場の空気が大事であり、せっかく場を設けたのであれば、何か気付きを得なければ無意味なのだ。だから、スケジュールを刻んでデータだけ持ち寄る形式的な会議などはやらない。/また、私のような、その企業に所属していない人間と仕事をする場合、家電製品を扱うような消費財メーカーの多くは、内部と外部という意識が強く働いている。どこかに線が引かれて秘密を守っているという感じがして、心を開いて話しをしているという雰囲気にならない。また、彼らにとって意味のないこと、メリットの見えにくいことを言うのは許されないという息苦しさもある。そして、すぐにデータ的裏付けのようなものを求められる。そういうものは無意味だと言っても、無意味でもあった方が、社内で話しが通りやすいからと、形式的なものでも提出を求められる。/私が関わらせていただいている産業用機械製作会社は、「形式的なもの」の意味の無さを、社員が共有意識として持っている。そういうものは、社内の話し合いで、むしろ支障になるということをわかっている。また、秘密主義でもない。だから、心を開いて対話ができる。他に取り替え可能なことをやって他よりも早いことだけが生命線になっている会社が、秘密主義になるのだろう。この産業用機械製作会社のように他が真似のできないことをやっているところは、情報に関してはけっこう無防備で、大きな工場なのに守衛がおらず、とても驚いた。[…]

一部引用しようと思ったのに風の旅人さんのメッセージを過不足なく伝えようと思ったら、削除するところが殆どなくなりました。最後に若者達に声かけする。

若者も、いつまでも若くない。時間とともに深まっていくことが大事だという良い見本を傍に見ながら、自らもその発想で「今」に取り組むことが、若者にとっても幸福なことなのだと私は思う。時間とともに褪せていく大人の傍にいて、将来の自分をそこに重ね合わせてしまうと、人生に希望を持てない。/「時間」の蓄積がないがしろにされている価値観に添って、自らの新しさを主張し、自らも目新しさを追い続けることは、時とともに、自分の先行きが狭まっていくことが予感できるわけで、それは幸福な生き方とは言えない。一つの対話や物作りにおいても、人間関係においても、人生全体においても、「時間をかけながら深めていくこと」の価値を多くの人が取り戻すことは、目新しい物を次々と回転させることで拡大してきた消費経済を今以上に崩壊させることになって、抵抗もあるだろうが、次なる段階は、自然とそうなっていくのだろうと思う。ーhttp://kazetabi.weblogs.jp/blog/2009/02/post-fb0e.html

そのとおりだと思う。だから、僕のような大人を見本としてはいけない。(ネタとしてではなくベタとして言っています)
とても身近にそのような大人がいるはずですよ。僕のように還暦過ぎて気が付いても遅すぎます(笑)。
小田さんの「出版状況クロニクル」の話から逸れましたが、表層ではないところで通底していると思います。
出版業界で次なる段階の一歩になるやもしれぬのは、去年、買切・時限再販を提案した筑摩書房社長の菊池明郎の発言だと思う。彼は70年代に筑摩の倒産を経験しているし、まだ、僕より若いし決断の出来る人だと思います。菊地さんの提案が導入されたら、出版においても、仕入においても、じっくりと時間をかけた目利き人の職人技が要請される。委託・再販維持制度の下では、本がニセ札作りの自転車操業に似たものとなっていましたからねぇ。ネタ道ではなく、ベタ道です。ベタの行く手に希望がある。もう、ジジィにはベタの変換は困難だけど、若い人たちは、まだ間に合います。
病んだ社会の方が「ものが売れる」。昔、本屋から雑貨にトラバーユした知人が○○文化と冠されるようなホビー商品を開発し、若者達に受け入れられたが、彼から聴いた話で印象に残っていることは、コンセプトはゴミの生産なんだ。そのようなゴミホビーによって子ども達はコミュニケートのツールにしている。そのようなゴミ文化圏の中で、本ですら、小田の言う「読者から消費者」への転換が図られて「ゴミ本」を大量に刷ってしまう。刷れば、一応、取次によって手形を頂戴することが出来る。それを割り引くわけです。そのようなビジネスモデルを変換しなければ、希望がないよと警告しているわけです。
先日、地域のゴミ減量推進員として、ペットボトル・プラスチック容器包装のリサイクル工場へ見学にまいりましたが、先日のNHKクローズアップ現代の報道によると、今まで中国に依存していたペットボトルのリサイクル需要が殆どなくなり、各自治体でペットボトルが野ざらし状態にあるらしい。
だけど、某メーカーで循環型のペットボトル再生に取り込んで技術開発を行い、一部実施しているとのこと。後はコストの問題だけど、かような地味な技術的な努力があって、本当に僕たちは次の段階に進めるのだと思う。

あと、この「出版クリニクル9」では、図書館についてのレポートもあるけれど、それは次回にします。
http://www.ronso.co.jp/netcontents/chronicle/chronicle.html