ロボトミー

中井久夫の『日時計の影』(みすず書房)の「伝記の読み方、愉しみ方」の項で、バーバラ・J・キャラウェイ著『ペプロウの生涯ーひとりの女性として、精神科ナースとして』(みすず書房)を紹介しているのですが、詳細なドキュメントを本書(p258)でちょっと引用している部分があって、壮絶なロボトミー実験の描写に気分が悪くなりました。そんなに古くない。1958年のオハイオ州立病院視察の項(邦訳357〜361頁)です。

 翌朝、その医師(フリードマン医師)は自分の「ロボトモービル」ーロボトミーの器具を搭載した小型トラックーを運転してやってきた。彼は病棟を巡回すると「そいつ、それから、あいつ」と無作為に患者を選んだ。患者一号が彼の前に押し出された。彼はその女性のこみかみに電極を当てると気絶するまでショックを与え、それから彼女の左まぶたを上げて、アイスピックに似た器具を彼女に眼の中に突き刺した。それを引き抜くと、血のついたアイスピックをアルコールの入った嘔吐盆に浸し、それから次の患者に移った。(中略)次から次へと管理された暴力の流れ作業を無慈悲に進めていき、その後には血だらけで盲目になった40ー50人の患者が残された。ヒルダは吐き気に襲われ、(中略)恐怖に愕然としながら、部屋を出た。後から暗くひっそりとした病棟にいる患者を訪ねてみると(中略)ベットに仰向けに横たわるか声を立てて泣いていて(中略)犠牲者は全員女性で、大部分は夫によってひどい仕打ちを受け捨てられた人たちであった。彼女にできることは何もなかった(中略)。1948年、フリーマンは米国精神医学・神経学委員会の会長に選出された。国中で講演を行い、特に統合失調症患者、同性愛者、共産主義者などといった社会の不適応者を制御するためにロボトミー(中略)を賞賛してまわった。1955年までに四万人以上の患者が手術を受けた。

ペプロウの生涯―ひとりの女性として、精神科ナースとして

ペプロウの生涯―ひとりの女性として、精神科ナースとして