週刊誌ジャーナルの本気度は?

「当たり前」をひっぱたく

「当たり前」をひっぱたく

僕も笑ってしまった。
朝日ジャーナルの復刊なんですね。
しかし、ネタ元の双風舎さんの記事に僕も笑ってしまった。

そして赤木さん。彼に関する記事は同誌の記者が書いているのですが、笑ってしまったのは「今回の『朝日ジャーナル』で複数の知識人たちに赤木との対談を打診したが、「戦争」を提唱する人間と議論はしたくないなどの理由で断られた」というくだり。
「複数の知識人」というのが誰なんだか、気になりますね(笑)。赤木さんの本をちゃんと読めば、最大の論点は「正社員の特権を削り、非正社員との格差を縮めること」であることがわかります。「希望は戦争」というコピーは、その論点に目を向かせるためのアイキャッチもしくはネタであり、結論として赤木さんは、戦争などしないほうがよいと考えていることもわかる。

僕も再三、《「正社員の特権を削り、非正社員との格差を縮めること」》このことが赤木さんの一番言いたいことだとブログでも今度の新刊『「当たり前」をひっぱたく』のレビューでも書いているのですが、このことについての反応が殆どないどころか、反発が多い。
(1)富裕層/(2)安定労働層/(3)貧困層に置いて(1)を敵として引きずり降ろすことよりまず(2)がささやかに既得権益を(3)に回すことによって(2)と(3)の共闘を図る。それから(1)に向かっても遅くはない。そして最終的に(2)と(3)のボトムアップを行うわけです。
それが、どうも(2)の安定労働層が(3)の貧困層の切羽詰まったさを奇貨とし彼らを前衛として(1)の富裕層に鉄砲玉として向かわせるご都合主義の運動理論があるのではないか。
そのあたりの不信感があるから、赤木さんは「希望は、戦争」のキャッチをしたのであって、論点はあくまで、(2)の層が(3)を排除しないでむしろ(2)の人々が(3)に手を差し伸べ一緒に憲法で保障された健康で文化的な暮らしをやってゆく覚悟が本当にあるのかどうか、むしろ、(2)の人々は(1)の人々と結託して(3)を排除、搾取して憲法で保障された「人間」ではなく、「部品」として取り扱おうとしているのではないかという疑念だと思う。
前日、書いた「すき家」の飯五杯で非正規雇用者を窃盗として訴えた件はモロに(3)を「部品取扱」として経営管理している懸念が感じられる。でも、かように(2)の安定労働層に責任の一端を指呼すると反発があります。僕は双風舎さんが言うのと違って「複数の知識人」達は赤木さんが、「希望は、戦争」というのはキャッチだと言うのはわかっていて、言いたいのは(2)の安定労働層が自らの所得を削っても(3)に回すと言った簡単明瞭なことだとは了解していると思うのです。
でもそれだとすると、(2)の層にある「複数の知識人」、「編集者たち」、結局、自分たちに跳ね返ってくるわけです。それは困る。でも赤木さんは「希望は、戦争」みたいな誤読を呼ぶことを言ってくれたお蔭で、戦争待望論者みたいな輩と対談する気はないと、自分を良い子にしてエクスキューズが言えたということではないか。
(2)の層はマジョリティなのです。マイノリティから発言する言論人がいかに少ないかが改めて露呈する。
1940年体制がいまだに生き続いているのです。左とか右とか関係ないのです。
そう言えば、前日のエントリーで双風舎さんは、週刊誌の終焉 !?のエントリーで、

仮に、質の高い報道をつづけていると、それなりに読者がついてくるのだとすれば、週刊誌が生き残る道はおのずと見えてくるでしょう。すなわち、プロパーの給料を下げることです。浮いた分で調査・取材費用を確保するとともに、契約記者やライターら外部の書き手に還元する。
そして、プロパーの給料が下がれば、必然的に高給と安定を求める人は減少し、ほんとうにジャーナリストになりたい人が入りやすくなるでしょう。アホみたいに難しい入社試験からこぼれたものの、生活に困らない程度のお金をもらえればいい、と考えている優秀なジャーナリスト予備軍が、世の中には山ほど存在すると思います。
これは、テレビや新聞、そして出版のすべてにいえることなのではありませんか。
プロパーの高給を維持しつづけていけば、たぶんマスコミの質はどんどん低下し、読者や視聴者、聴取者らから見放されていきます。そうなると、高給を維持したがためにつぶれてしまうのか、それともつぶれる前に高給の維持を断念して、質の向上をはかったうえで生き残りを目指すのか、という二択に、マスコミ業界はならざるをえないんじゃないのかなぁ。

月刊誌、週刊誌を廃刊、休刊にする前に、何とか存続したいという編集人、マスコミ人、言論人の矜持があれば、何とかなる。僕の知り合いの某専門図書館が知事の断固たる方針で補助金がカットされたが、でも、給与が大幅にダウンしても逆に専門図書館の司書としての矜持に火がついたのか、がむしゃらに動き回っている。一番の問題はそこにある。
編集人、マスコミ、言論人のエクスキューズを聞きたくない。自己正当化する言葉のプロに不信感が向けられている。そのような不信感がある限りきれいごとを並べても詮方ない。
高給取りでなくなっても、質の高い、一冊の週刊誌を発行する方を選ぶ。記者クラブにオンブにダッコしてもらわない。そのような矜持を持つことがまず先決でしょう。その覚悟がないから、赤木さんとの対談を忌避するのかと穿った見方をしました。
参照:朝日ジャーナル怒りの復活またはジョブ派対談意気投合: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
http://d.hatena.ne.jp/tazan/20090417#1239967167