「文化的成熟」というコトバを使いたくないんだけれど、

ニュース速報:盧前大統領が死亡、自殺か…警察が確認中 | Joongang Ilbo | 中央日報「盧前大統領が死亡、自殺か…警察が確認中」
大衆の反逆 (白水Uブックス)
音羽、一橋はブックオフで何をしようとしているのか - 葉っぱのBlog「終わりある日常」からの続き…、
編集集団140Bブログの
http://www.140b.jp/blog/2009/05/post_397.html
を読んだら、大阪の編集人たちは、現在のこの国の出版流通に関して鋭敏なアンテナを持っていると嬉しくなった、
過日、『いったいわれわれはどんな「意味の市場」がほしいのかということだ。』ということを松岡さんから示唆されましたが、このことに関しては、音羽であれ、一橋であれ、ネット書店、小さな書店、ナショナルチェーン、大取次であれ、「意味の中身」は違っても単なる「金融市場」ではなく「意味の市場」で闘っているんだという基盤は共有していると思う。
確かに大取次、大出版社は出版流通システムの閉鎖された中で再版維持制度に守られ金融機関としての機能をも果たしていた。
某大取次と縁の深かった長銀を始めとした金融システムはそれなりに最適に稼働していたことは間違いない。
「意味の市場」を支えるには長期展望に立った長期金融が必要でしょう。意味の市場と言えば、大阪では橋下改革で国際児童文学館、労働資料の専門図書館エル・ライブラリーとか、文化施設に関しては冷たい対応になっているのも同じ文脈でしょう。
「意味の世界」を支える耐性は、人々の文化的成熟だと思うけれど、「文化的成熟」というコトバを僕自身使っても何か上から目線のイヤらしさを感じてしまって、恥ずかしい気分になるけれど、他に適当なコトバが見つからない。
恐らく、単なる概念ではなく、街場で若い人たちが文化的ムーブメントを起こすことに関して年配者たちは暖かい目でじっくりと見守ってやると言うことでしょう。
ネジを巻き戻してかってのシステムを採用するわけにはゆかないのです。覆水盆に返らず。

本山 長期金融から短期金融への移行がなされるさいに、日本の戦後の金融システムは「護送船団方式」とよく揶揄されましたが、私はその方式はひじょうに見事だったと思っています。なぜならそこでは「よーい、ドン」であらゆる産業がいっせいに競争するのではないからです。たとえば大手企業には都市銀行、中小企業には信用金庫、鉄鋼などの基幹産業には政府系の日本長期信用銀行、というように、それぞれの産業の特質にあわせて金融機関が整備されていました。
 なぜこうした方法がとられたのかというと、産業ごとに儲かる産業、儲からない産業という不公平があるからです。儲かる産業というのは、われわれ素人相手の産業です。われわれは自動車の価格がどこまで適性価格であるのかわかりません。いっぽう、儲からない産業とはプロ相手の産業です。新日鐵が世界に冠たる技術をもっているからといって、トヨタからそっぽを向かれたら何もできません。戦後の日本の金融システムがうまくいっていたのは、儲からない産業には日本長期信用銀行などの政府系銀行がついて産業間の不均衡を調整していたからです。こうした方法によって、金持ちのお金が社会にうまく流れていたんです。
 実は私、学生時代、日本長期信用銀行にいきたかったんですよ。成績が悪くとてもではないが無理だと先生から言われましたが、とても人気があった就職先でした。
 日本の金融は、産業の業態や特徴にあわせて、信用金庫とか都市銀行とか農林中央金庫とかいうようにいろいろ分かれて、それぞれに棲み分けをしていました。だからこそアメリカではとうのむかしに廃れてしまったような重厚長大な基幹産業が日本で育っていたんです。しかし、アメリカが金融機関の自由競争や総合化を強く求めてきたことをきっかけに、それも崩壊してしまいました。
 産業の特徴にあわせた金融機関の棲み分けを一切なくして「競争だ」となったときに、どこが真っ先に悲鳴を上げるのかといえば、それは日本長期信用銀行であり、日本興業銀行であることは目に見えていたはずです。儲からない産業に張り付けられているわけですから。実際、それで長銀もつぶれました。あれから私はナショナリストになったのかもしれません。長銀アメリカの銀行に買収されていたのならまだ諦めもつきますが、銀行でないものに買収されたんですよ。ー本山美彦・萱野稔人金融危機資本論』p51ー

結局、投資銀行的なのもが、「意味の世界」をズタズタにしたのでしょう。だからといって資本制社会のもとで牧歌的に懐古しては状況は益々ひどくなるでしょう。そうではなくて、「意味の世界」にお金が回るシステム、作り手、編集者たちが自ら買いたくなるようなコンテンツを執拗に作って行くしかない。単なる消費者ではなく読者として購読者をリスペクトできる市場を時間をかけて作り上げるということです。そのような意味で「文化的成熟」というコトバを使ったのです。