想田監督『精神』の顔

立ち位置によって風景がカーテンに見えたり、鉄の壁に見えたり。
加害者/被害者の入れ子構造のただ中に身を曝すことでしか、隧道の出口は見えない。
ただ、その出口が次の入口で入口/出口の入れ子構造が又始まるかもしれないが。
モザイクをかけることによって、人間ではなく記号になってしまう。


今晩、監督がTBSラジオに出演しますねぇ。
参照:ドキュメンタリー映画『精神』 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
しかし、顔以外を曝すのはそんなに敷居が高くないが、やはりが一番恥ずかしい。仮面はモザイクなんだろうか?